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「巡る季節と恋の順番」
春の花咲く頃に

(1)

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身を切るような寒さが嘘のように、日差しもやわらかく、乾いた温かい空気に満ちている。文字通り春到来のせいか、道行く人々も浮かれている気がする。
否、浮かれているのは自分かも知れないと一條は、歩く足を速めながら苦く笑った。
今朝、恋人に電話をした。
何度かのコールの後、「何?」とひどく寝ぼけた声で恋人の遠海美玖(とうみよしひさ)は返事をする。美玖は居酒屋で長いことバイトをしていたが、この4月から正式に社員として働き出していた。居酒屋だから、夜中の帰宅がほとんどで、たぶん、昨夜も朝方に帰ったのだろう。
「今日、時間とれないか?店は休みだろう?」
できるだけ優しく問えば、ぶっきらぼうな声で、「うん」と肯定する。
「じゃあ、富田駅の改札に午後4時に待っているから」
「え?なんで?」
まだ、頭が正常に働いていないのか、美玖はかみ合わない答えを返した。恋人と待ち合わせを決める意味なんて一つしかないだろうに。
「会いたい」
美玖にはできるだけストレートに気持ちを伝えるようにしている一條は、甘く告げた。ここまで言えばわかるだろう。電話の向こうの美玖は絶句した。
「昼前から会って、食事をしてと思っていたんだが、その声の調子だと眠いんだろう?富田駅なら、昼過ぎまで寝ていても間に合うから。午後4時だ。わかったか?」
「うん」
小さな声の返事が聞こえ、一條はほっとする。
「じゃあ、待っているからな」
「うん」
そうして電話を切った。
電話での会話を思い出しながら、一條は駅までの道を急ぐ。昼間のデートはこれが初めてだ。
夜の街で出会って、契約愛人なんて関係を半年を続けてしまったのがいけなかったのかもしれない。美玖の都合に合わせていただけで、一條は恋人のつもりだったのだが、美玖は金で身を売っているだけだと思っていた。
あの日も濃厚に抱き合って、腕の中で散々喘ぎ啼いて、一條をねだった美玖は、いきなり『これきりにしたい』と言いだした。引き留める一條を振り切って逃げるように帰った美玖とは、その後、まったく連絡がつかなくなり、一條は本当に焦った。
その時のことを思いだすたび、背に嫌な汗をかくほどだ。
いつからこんなに愛していたのかは自分でもよくわからない。初めて抱いた後だったかもしれないし、専属契約を申し出た時だったかもしれない。
世慣れていなくて、20歳過ぎた大人だというのにやけに子供で、守ってやりたいと思う。
たった5歳しか離れていないのに、自分が保護者にでもなった気がするから不思議だ。
美玖を思うと口元に上る笑みを抑えきれない。
だが……。
そこまで思って一條はため息をついた。
恋人にしたはずの相手は全くそうは思っていないことを思いだしたからだ。一緒に暮らそうと言った一條に「囲われるのは嫌だ」と返したくらいだ。
美玖が一條のことを想っていることは疑う余地はない。なのに、一條のことを恋人だと認識してくれない。
「出会いが悪かったな」
小さくひとりごちた。考えていたことがつい口をついてしまったことに気付き、苦笑する。
順番通りゆっくり行こう。
二人で気持ちを確かめ合ったあの夜、なりふり構わず、美玖の部屋に押しかけて想いを告げたあの夜に一條は決めた。
はじめ方を間違えたのなら、一つずつゆっくり順番に解いていこうと。
そのためには、会わないことには始まらない。
だが、飲食店を何店舗も経営している一條と居酒屋勤務の美玖は時間を合わせるのが大変だ。
お互い会う時間がなかなか取れず、あの夜以来、やっと取り付けた約束は、遅い夕食が二度ほどで、それでも、ルームサービス以外で食事をしたのすら初めてだった。
やっぱり、普通じゃなかったか。
テーブルの向こうでキャンドルの灯りに頬を照らされながら、微笑む美玖を思い出して、一條は深く反省した。
今までだって、身体が目当てなんかじゃなかった。なのに、美玖の顔を見ると、感情が先走って、誰の目にも触れさせたくなくなってしまう。独り占めしてしまいたくて、ホテルの部屋で食事をし、それから、貪るように肌を合わせ、その体温を感じて自分のものだと確かめたくなってしまう。
愛している。おまえだけが一番大事だと伝えてきたつもりだったが、それではだめなのだ。
幸せにしたい。
一條は待ち合わせ場所に向かって、さらに歩く速度を上げた。

改札口の側の柱に背を預けて立っている美玖を見つけ、一條は安堵の息を吐く。約束の時間1分前だった。
物憂げに空中に視線を投げる美玖を道行く人々がちらちらと見て通り過ぎる。若い女性は言わずもながだが、中にはサラリーマン風の男性も視線を送っていた。
細面の顔に、大きな淡い色の瞳、涼やかな口元の美玖は、はっと人目を引く端正な顔をしている。襟足の髪を長くしていることもあって、モデルかなんかだと思われているんだろう。
他の人間の視線にいらいらした。俺の美玖をそんな目で見るなと一條は苛立たしげに思う。
「美玖」
名を呼ぶと視線を巡らせ、美玖がこちらを向いた。そして、嬉しそうに笑う。
その笑顔に一條は見惚れた。冷たい容貌が、やわらかく人好きのする顔に変わる。
「一條さん」
つぶやいて、美玖は何度が瞬きをした。見慣れないものを見るように、軽く首を傾げた。
「どうした?何か変か?」
美玖の目の前に立って、一條は自分を見下ろす。
カーキ色の長そでカットソーに黒色の細身のデニム、深い青色のジャケットというどこにでもいそうなカジュアルな格好だ。
美玖は赤いチェックの綿シャツにジーパン、黒の丈の短いジャケットを羽織っている。そうは違わないと思うのだがと、一條は首をひねる。
「ち、違う。いつもスーツ……だから……」
視線をそらせて、美玖は小さく答えた。
ああと一條は思い至って、前髪をかきあげた。確かに、仕事帰りが多くて、美玖と会っているときはいつもスーツを着ていたことを思い出す。
「似合わない?」
美玖は間髪入れずに首を横に振った。頬がうっすらと赤いような気がするのは気のせいだろうか。
あまりに首を振るので、一條は手を美玖の頭の上にポンと乗せて、その動きを止めた。
「ならいい。行こうか」
微笑むと上目使いでちらりと一條を見上げ、視線が合うとあっという間に、そっぽを向く。
拗ねているようにも照れているようにも見えて、可愛いなと一條は薄く笑った。
「こっちだ」
人が流れていく方を指さす。急行が止まる駅ではないにもかかわらず、今日は人が多い。同じ方向に歩く人が多い中、美玖は一條に遅れまいと歩きながら、周りをきょろきょろと見渡していた。
「ずいぶん、人が多いけど。何かあるの?」
まだ、午後4時と昼間の時間だからか、周りは年配の人か、もしくは学生が目立つ。
「ああ。季節限定のイベントだからな。遠方からも多くの人が来るらしい」
不思議そうな顔で、美玖は一條を見上げた。
「何かはついてからのお楽しみってことで」
「えー」
答えが得られなくて不満そうだが、その瞳が期待に輝いている。暖かい日差しの中、肩を並べて歩いていく。手をつなぎたかったが、まだ、昼間で人目が多い。自分は気にしないが、美玖は嫌がるだろう。
「どうだ、そろそろ慣れたか?」
歩きながら尋ねた。
「昨日も聞いたよ、その問い」
くすくすと美玖が笑う。確かに、ここの所、メールか電話を欠かさずしているから、同じことを訊いているかもしれない。だが、心配なのだから仕方がない。
「まだ、正社員になって二週間だよ。慣れるにはもうちょっとかかるだろうな。バイトと違って、シフト決めとか、バイト指導とかあるから。今は、その研修と今迄通り接客の二本立てでちょっと忙しい」
「そうか」
確かに、正社員とバイトでは仕事の内容が変わるのだろう。マネージメントもできないといけないだろうから、大変そうだ。
「でも、楽しいから大丈夫。店は同じだし、店長とかもきちんと教えてくれるし。一條さんの方が忙しいだろう?」
「どうかな。俺の方は一年中、こんなもんだからな。それぞれ店長も置いているし、経理管理と業績管理ぐらいか」
こんな不景気な折でも一條の持っている店は売り上げを伸ばしていた。半数がマイノリーティーのための店だということもあって、流行と無関係ということもあるが、一般相手のバーも雑誌で取り上げてもらえるような企画を次々と打ち出しているのが効を奏している。
各店舗の店長もよくやってくれているので、一條の忙しさもさほどでもない。
「うー。俺は無理。人を使うのって、自分で動くより難しい。いまさ、バイトをどう配置するとか、教育はどうするとかの研修も受けているけど、今迄通り、マンツーマンで教えるんじゃなんでダメなんだろうって思っている。偉ぶるの嫌いなんだよ」
美玖は眉間に皺を寄せる。そんな顔すらきれいだと思う自分は、本当に美玖に参っているんだと思う。
「偉ぶる必要はないだろう。だが、適材適所っていう言葉もあるし、相手の能力を見極めて、どう配置するか、人員の流れをどうするかで、仕事の効率が変わる、違うか?」
「違わない。でも、使われている方が楽だ」
美玖はため息をつく。美玖の言うことはもっともだ。他人の言うとおりに働いているのが一番楽だ。
「だが、工夫したくなったら?もっとうまい人の使い方やキャンペーンがあったとしてもバイトの意見はなかなか通らない」
思い当ることがあったのか、美玖が一條を見上げ、小さく頷いている。
「社員は責任は重いが、その分、工夫は歓迎されるぞ」
「そうだね」
納得したのか、美玖は一條を見て笑う。
「やっぱり、経営を任されている人は違う。実は似たようなことを店長にも言われてさ。ちょっと頑張ってみようかなって思ってたところなんだ」
一條は、嬉しそうな美玖の表情に引っかかる。
「その店長とは付き合い長いのか?」
「うん、バイトはじめてからだから、かれこれ5年近いかな。俺を正社員に推してくれたのも、志水(しみず)さんなんだ」
志水さんとやらが店長らしい。尊敬していますという瞳で語る美玖は可愛いと思うが、一條的には面白くない。
「俺って高卒だしさ。周りは大学生のバイトとかも多かったから、いろいろ嫌味言われたりさあったんだけど、辛い時とか、志水さんが励ましてくれて、それで続けられたところもあって。すごい人でさ、本社からも……」
「男か?」
「え?」
話をつい遮ってしまって、美玖が怪訝そうな顔をする。
「その店長」
「あ、ああ、うん。そうだけど……一條さん?」
大人気ない自分の言動に一條は軽く落ち込んだ。だが、デート中にほかの男を褒めるのはどうなんだろうと横を歩く美玖をちらりと見る。
視線が絡むと美玖はひくんと身体を震わせ、目を伏せて、肩を落とした。一條が怒っていると思ったのかもしれない。
「なんでもない……そろそろ目的地だ」
できるだけ優しい声を出す。だが、美玖は目を伏せたままだった。
煉瓦造りの門柱に唐草模様の鉄の門扉の前で、人員整理の係員がメガフォン片手に、『場内は飲食禁止です』と叫んでいる。普段は閉じている門扉は、今日は全部開け放たれていて、人の流れはそこへ入っていく。
人が多くてちゃんと見なかったが、道一本向こうの川沿いの公園に屋台が出ているらしい。焼きそばやソーセージを焼くにおいが漂ってきている。道行く人の多くも手に何か持っているようだ。そのせいで、『飲食禁止』だと叫んでいるんだろう。
「おいで」
足を止めかけている美玖を促し、門の中へと入っていく。目の前は大きな一本道だった。その両側に白やピンクの花をつけた木が整然と並んでいる。枝振りが見事で、地面に着きそうなほど垂れ下がり、広い道は両側からの枝が張り出して、まるで花のトンネルのようになっている。
「……すごい……」
美玖は足を止めた。目の前の光景を驚いたように見つめている。
「これなんて花?」
「桜だ」
答えてやると美玖はさらに驚いたように一條を見た。4月も半ばで、確かにソメイヨシノはすでに散ってしまっているが、八重桜と枝垂桜は、種類によって、今が盛りだ。
ここに集められているのはどれも、ソメイヨシノ以外の品種で、遅咲きの八重だった。
「ここから、ずっと1キロほど続いている桜並木だ。1週間しか一般公開しないからな。それでこの人出だ」
いいながら、背を押してやる。美玖は素直に足を進め、木の側に近寄った。
手まりのように丸くなった花の塊が目の前で揺れている。重なった花弁が中心までぎっしりと開いていた。
「きれい」
「手まり桜というそうだ。そのまま毬の形だな」
説明してやると美玖は頷いた。魅入られたようにピンクの花弁を見つめている。桜も見事だが、それに魅せられている美玖はため息が出るほどきれいだった。
惚れた欲目かな。
一條は苦く笑う。
「ここからずっと奥まで、100種以上の桜が続いている。ほとんどが八重桜だが、かなり珍しい品種もあるらしい」
こくんと頷く美玖を促して、桜のトンネルを歩き出す。上を見上げれば、空の青さに桜の新緑と花弁の色が映えて、えも言えずに美しい。
「こんな濃い紅色の桜、初めて見た」
『妹背』と札のついた桜の下で立ち止まると、美玖がため息をつく。
「桜はバラ科だ。八重の桜を見るとそれを実感するな」
「うん」
「この妹背という品種は一つの花が、対となる2つの実を結ぶそうだ」
美玖はそっと手を伸ばして、触れるぎりぎりまで手を差し出す。
「だから、妹背なんだね」
夢見るように呟く美玖に一條の胸がどくんと大きく鼓動を打つ。美玖の妹背でありたいと思い、この桜の実のようにずっと対で寄り添っていたいと願う。そして、同じように美玖が思ってくれればいいと強く想った。
「気に入った?」
囁くような声になった。美玖のことになると何もかもが思い通りにならない。強気を信条としてきた自分がどうしてこうも弱腰なんだろう。
美玖はぱっと身をひるがえして、振り返ると大きくうなずいた。
「ありがとう。すごいよ。こんなに八重の桜を見たのは初めてだ」
大きな瞳をキラキラさせて美玖は一條を見た。手を伸ばして抱き寄せそうになるのをぐっとこらえる。桜と同じくらい人通りがある。誰もが桜に見入っているが、それでもこんなところで抱きしめたら、目立ってしまい、それを美玖がどう思うかが怖かった。
「よかった」
口端を上げて微笑んでやる。美玖も微笑み返してくる。じんわりと心が温まるような気がして、一條は大きく息を吸う。
「この道はまだ、続く。先も見るだろう?」
「もちろん」
美玖が歩き出す横についていく。
「へえ、これは鎌足桜っていうんだね」
薄紅色の八重桜をしげしげと見ながら、美玖が横の看板を見たのだろう、桜の名を口にする。
「かなり珍しい品種の様だな……おっと、大丈夫か?」
美玖の目線の先を覗き込むと、美玖がよろけたのに気付く。とっさに腕を出して、腰を支える。
「だ、大丈夫」
どうも誰かに肩を押されたらしい。この人出では仕方がないが。
手の平に美玖の体温を感じて、その腰を引き寄せる。
美玖が一條を見上げた。頬がほんのり染まっていて、目が潤んでいた。
「ご、ごめん」
胸を手で押されて、はっと我に返る。胸に抱き寄せてしまっていた美玖からぱっと手を離した。
「い、いや。気をつけろ」
「う、うん」
危ないから手を引いてやりたかったが、たぶん嫌がられるだろうと、一條は提案をせず、できるだけほかの花見客から身体で美玖をかばって歩く。
もどかしいと思う。いままで、ホテルで会って、抱き合うのが常だったから、美玖に触れられないことが、ひどくつらかった。身体が欲しいのではない。たぶん、確かめたいのだ。美玖の存在を。彼の心の所在を。
だが、ただ会って、身体を重ねてではだめなのだ。それでは、愛人をしていた時と変わらないと美玖が思っているから。
違うのだと、自分たちは今は恋人同士で、こうやって一緒に同じものを見て、体験して、お互いを知って行くのだと美玖にわかってほしい。
風に揺れる薄紅色の花弁を見ながら、一條は横の美玖に気付かれないように、ため息を一つついた。
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