スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←守護者砦 →均衡の崩壊(1)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png はじめに
もくじ  3kaku_s_L.png リンク集
もくじ  3kaku_s_L.png Novel lists
もくじ  3kaku_s_L.png 奇跡の刻
もくじ  3kaku_s_L.png 平行線の恋
もくじ  3kaku_s_L.png 煉獄の恋
総もくじ  3kaku_s_L.png 天空国の守護者
総もくじ  3kaku_s_L.png 巡る季節と恋の順番
もくじ  3kaku_s_L.png 雑記
総もくじ  3kaku_s_L.png 山神の花嫁_昔話
もくじ  3kaku_s_L.png 告白の向こうへ
もくじ  3kaku_s_L.png 空の月を恋う
総もくじ  3kaku_s_L.png おまけ番外編ショート
もくじ  3kaku_s_L.png 遠回りの片恋
もくじ  3kaku_s_L.png 腕の中の迷い猫
総もくじ  3kaku_s_L.png 蒼い闇の化身
  • 【守護者砦】へ
  • 【均衡の崩壊(1)】へ
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit

「山神の花嫁_昔話」
新年の寿

新年の寿

 ←守護者砦 →均衡の崩壊(1)
一陣の風が泉せんの長い黒髪を掬った。誘われるまま空を見上げる。
薄い色の空は澄んでなお青い。冬特有の冷たくて張り詰めた空気が触れたら音を立てそうなほどだ。
年末。大晦日。
竹箒を握る手がかじかんで、泉はほっと息を吹きかける。息が白く空に散る。
翡翠ひすいの屋敷の庭はすっかり掃き清められ、打ち水がされている。これから新春を迎えるべく準備は万端だ。
この1週間、人型を使って屋敷中の掃除をした。あまりそういうことに屋敷の主がこだわらないから、放っておくと大変なことになるからだ。
朝から晩までまめまめしく泉は良く働き、屋敷は塵一つなく、庭もきれいに整った。
自分の仕事のできを満足げに見遣って、泉は身体をうんと伸ばした。
「さて、翡翠様をおこさなきゃ」
神様が1年で最も忙しいのがこの時期だ。大晦日も新年もこの時のために神様はいるんじゃないかと思うくらい忙しい。
人間界でも新しい春を迎えるために大忙しだろうが、その願いを聞き、新年の寿ぎをする神様はその上を行く忙しさだ。
その仕事を助けようと泉は屋敷の管理とお正月用の料理の準備を一手に引き受けていた。正月も1日が終わると交流のある神様がたが挨拶にやってくるので、それもまた一仕事なのだ。
ここに来たばかりのころ、新年になっても訪れる神もなく、ひっそりと翡翠と二人で過ごしたものだが、いつのころやら入れ替わり立ち替わり、様々な神が挨拶に訪れるようになった。きっかけがなんだったか、泉にもよくわからない。
竜胆が顔を出すようになったことだったかもしれない。
だが、そんな新年を迎えるのが恒例になり、すでに数十年続いている。ここに来ていつの日か新年の回数を数えるのをやめてしまったから、もうどれだけかは泉にもよくわからないのだが、五十ではきかないくらいの春を共に過ごしているだろう。
泉は廊下を行き、屋敷の母屋の奥の翡翠の部屋に向かう。すでに、日は天に昇ったというのに、翡翠は起きてくる気配もない。
襖の前で膝をつき、からりと寝所の襖を開け、立ち上がって部屋に入り、また膝を床について襖を締める。
たんっと快い音が部屋に響く。起こすのが目的だから、わざと音をならしたのだ。
だが、薄暗い部屋の真ん中にある高くなった床の上の寝台では、人の形のわかる布団の膨らみがみえるだけで、ぴくりとも動かない。
「翡翠さま、朝餉にいたしませんか」
寝台の側まで歩み寄り、泉は膝をつく。腕を伸ばし、翡翠の肩を叩こうとした。
と、いきなり布団の中からぬっと締まった腕が生え、泉の腰に巻き付いたかと思うとぐっと引かれた。
たまらず泉はそのまま寝台に倒れ込む。
ばさりと掛け布団がめくられ、あっと思う間もなく、泉は翡翠に抱き締められて、布団の中だ。
「つめたいな」
「翡翠さまっ」
抗議の声は重ねられた唇に遮られる。舌がゆっくりと口腔内を舐ねぶって、泉の口から甘い吐息が上がった。腰に回された腕に力が加えられ、ますます強く抱きしめられる。翡翠の舌が泉のを絡めて、濡れた音が部屋に響いた。
「んっ……」
何度も何度も舌を撫であげられ、裏顎まで舌でつつかれると泉の身体がぴくんと跳ねる。それに気を良くしたのか、翡翠は泉の口内からするりと舌を抜き、唇を舐め、顎から首筋へと舐めて行く。
「……翡翠……さま……だめっ……」
切れ切れな喘ぎ声で拒絶するもきっと翡翠を喜ばせているだけだと泉は溶け始めている思考の先で思う。
だが、今日は今日こそは流されてはだめなのだ。仕度もあるし、時間もない。このままだと翡翠にいいようにされて、気づけば昼過ぎになってしまう。
泉は左腕を頭上へと伸ばす。すでに翡翠の手は着物の襟の合わせを割って、肩を大きくはだけている。泉の滑らかで吸いつくような肌を手のひらで楽しみながら、喉元を舌の先でちろちろとつついていた。
「……あぁっ……」
上がる声が噛み殺せず、それでも泉は腕を思い切り伸びあがるように上げて、翡翠の緑の髪の中に手を差し入れた。
「い、痛っ……」
翡翠の首が後ろにのけ反って、たまらず泉から翡翠は唇を離した。泉を恨めしそうに睨んでいる。
「痛いだろう。髪を引っ張るなんてひどくないか」
「だめだと申し上げたのに聞いて下さらないからです」
泉は指に絡めた翡翠の髪を思い切り後ろに引いたのだ。痛いに決まっている。
「いいだろう?このまま泉を抱きたい」
甘く囁く翡翠をぐっと泉は睨みつける。泉は翡翠に甘い。翡翠の我儘も甘えも大概、泉は叶えてきた。それにこうやって求められたら嫌なわけがない。
だが、今日は……。
泉はぐっと心を鬼にする。
「だめです」
告げられた言葉に翡翠は大きな溜息をついて、腕を解いた。
泉はするりとそこから抜け出すと身体を起こし、傍らに座す。着乱れてしまった着物を直した。
ねっ転がったままそれを下から眺める翡翠の琥珀色の瞳が拗ねた色を帯びる。
「翡翠様、起きてください。朝餉が冷めます」
この瞳には弱くて、泉はつい翡翠を許して、甘やかしそうになる。この偉丈夫でどこから見ても男らしい神様が泉の前でだけ拗ねるのを泉はかわいいとさえ思っているのだから。だが、だてに数十年一緒にいるわけではない。流されてしまわないように、泉は突き放したような言葉を口にした。
「なぜだ?ここ最近、起きると泉は俺の傍らにいない。布団はすでにおまえの体温を逃しているのに、残り香だけが鼻をくすぐるんだ」
「師走なんですよ。この屋敷には人間は私一人ですし、山の宮は広い。人型は命じたことしかできないんですから、どうしたって忙しいんです」
屋敷の掃除で忙しいんだと告げると翡翠の機嫌がさらに悪化した。
きっと翡翠様の甘い言葉に対する睦言が欲しかったのだろうけど。
これだけ側にいれば、初心な泉でもさすがに翡翠が望むことはある程度わかるようになった。だが、いつもなら応えられることもいまはだめなのだ。
「翡翠様、お願いですから起きてください。今日は大晦日なんですから」
泣きそうな声に翡翠は身体を起こす。小麦色の肌が薄闇のなか色濃く見え、張りのある皮膚をきれいな骨格と筋肉が押し上げている。肌をさらした翡翠は肩に散る緑の髪とも相まって、うっとりするくらい野性味あふれて美しい。
つい見惚れてしまい、泉ははっと我に返る。自分が流されたら、翡翠は仕事を投げてしまうだろう。
「わかった。じゃあ、夜ならいいんだな。2年越しで泉を抱く」
大きな手のひらで髪をかき上げて、翡翠はニヤッと笑う。唇の端から犬歯がのぞいて、牙のようにも見えた。
「それもだめです。明日は新年で、翡翠様はお忙しいんですよ」
わかっているんですかと泉は翡翠を咎めた。
「まったく、昔はこういえば顔を赤らめて一言もなかったのに、最近、すっかり慣れてかわい気がない」
翡翠の言葉に泉の鼓動がどくんと跳ねあがる。それは本当にここに来たばかりの頃で、喰らわれる意味さえ知らなかったからだ。翡翠にそれにまつわる何を言われても恥かしくて、一人耳まで赤らめていた。
今は……。
翡翠様は知らない。翡翠様の言葉一つで心が痛くなったり、眠れなくなることすらあるというのに。身体の芯が熱を持ってどうにもならなくなるなんてきっとわかっていないだろう。
今だって、可愛げがないと言われて、泉の心が縮みあがった。翡翠に嫌われたら、疎まれたら、飽きられたらといつも胸に巣くう恐怖が頭をもたげるから。
だが、そんなことを言って縋りついたらきっともっと嫌われる。だから、泉はそんなそぶりは見せない。
「翡翠様」
名を呼ぶと翡翠は仕方がないという顔で渋々、布団から出てくる。
「お支度のお手伝いを」
「ああ」
大股に部屋を横切っていく、翡翠を追いかける。
つと、翡翠が振り返った。
泉はたたらを踏んで立ち止まる。強い光の躍る琥珀色の瞳がまっすぐに自分を見ていた。
「わかった。ちゃんと務めは果たす。その代わり、新年の寿ぎが終わったら、俺の願いを3つ叶えてくれ」
何だろうと思ったが、あまりに真剣な翡翠の表情に泉は素直に「はい」と返事をしていた。
それに満足げな笑みを返すと翡翠は今度こそ迷いのない足取りで寝所を出た。


正装した翡翠は惚れ惚れするくらいの男振りだ。白色の絹に銀糸で刺繍された直衣に襟元から赤の衵あこめがのぞき、その下の白い単衣ひとえが重ね襟のようだ。黒い冠が緑の髪に映える。
支度をした泉はしばし見惚れたまま声もなかった。
毎年のことだというのに、どうして何度見ても見飽きることがないんだろうと泉は思う。
「どうした?なにかおかしいか?」
道具を片づけることもせずに、自分を見上げる泉に翡翠が声をかけた。
「い、いえ。あまりに素敵だったのでつい……」
頬を赤らめて視線をそらした泉に目をみはった翡翠は泉の手を取るとぐっと手前に引く。その勢いのまま立ち上がると泉は翡翠の胸に抱きとめられていた。
「あんまりかわいいことを言うな。このまま離せなくなる」
「翡翠さま……」
抱きしめられたまま泉は翡翠の胸に頬を寄せた。髪を指で梳かれる。頬を通して伝わる翡翠の高めの体温に安堵をおぼえて、泉は瞳を閉じる。
「泉も着替えたほうがいい。身体が冷たい。このまま温めてやりたいが……」
「……だ、だめです」
頷いてしまいそうになるのを泉はぐっとこらえた。
「しょうがない」
くつくつ笑って、翡翠は泉を離した。
「仕事納めといくか」
泉の額に唇を押しつけて、翡翠は泉から離れて歩き出す。
「ああ。そうだ」
襖を開いて、翡翠は振り返った。
「今回は客はなしだ。だから、年始の食事は2人分でいい」
晴々と翡翠は笑う。
「え?」
何故と問おうとした泉を遮るように、翡翠は踵を返した。
「翡翠さま」
名を叫んだ泉の声だけが翡翠の出て行った部屋に響いた。


翡翠が舞う。
祝詞を唱えながら、宮の舞台で舞うさまは、力強いの一言に尽きた。
大晦日の夜から、宮の中の神事の間で翡翠は夜を徹して、人々の願いの声を聞く。新しい年の変わり目に神社に訪れ、願う人々の声を。
そして、新しい年が明け、日が上るころにその願いを昇華させるべく、翡翠は舞うのだ。神とは人間の願いを叶えるのではなく、願いが叶うような環境を整えるためにいる。願いが叶うかどうかは人の努力次第だ。山の神は山の災害を押さえ、豊かな水と土そして、実りを約束する。平和と豊かな自然があれば、あとはお前達しだいだということだ。そのことを翡翠に会って泉は初めて知った。全ては自分次第だということを。
淡く緑の光を纏った翡翠は檜の舞台を蹴り、踏みしめる。聞こえるのは耳に心地よい翡翠の祝詞と時折、舞台を踏む力強い音。
離れた所から泉はそれを固唾を飲んで見守る。神域には泉は立ち入ること叶わない。結界の外で姿を追うことだけが許される。
舞う翡翠が眩しくて、泉は瞳を細めた。新年最初の朝日が翡翠に挨拶を交わして行くように纏わりついては離れて行く。
朝日の赤みがかった光と翡翠の纏う緑の光が相まった幻想的な情景に泉は心を揺さぶられた。何度見ても、泣けてくるほどの静謐さと温かさ。
知らずに頬を濡らす涙を泉はそっと袖で拭った。
『あとどれだけこうやって、翡翠さまのお側に仕えられるんだろうか』
最近、とみに頭をよぎる考えに泉は身体を震わせた。緑の髪の山神に出会って、すでに数十年。翡翠はお前だけだと囁いてくれるが、物事には全て終わりがある。それがいつになるかと泉はひそかに怯えている。翡翠が興味引かれるものが出たらそれが終わりの時だ。山向こうの湖に暮らす龍神である竜胆は何人もの大事な人を宮に住まわせている。それが普通だと誰しもが思うこの世界で、翡翠はいつまで泉一人だけでいてくれるのだろうか。
『翡翠さまの気持ちが私から離れたら、どうするだろうか』
ひらりと舞う袖を見ながら、泉は唇を噛みしめた。
あさましいと思うが、翡翠のあの瞳が他の誰かを映すのは許せないと思う自分がいる。それがどんなに身の程知らずでも嫌だと思ってしまう。
山の木々が息吹が翡翠の祝詞を受けて歓喜の声を上げる。ざわざわと押し寄せる生の波動に、土が水がそして山を覆う空気が浄化され、活性化されていく。
泉の髪が風に揺れて舞う。悦びに満ちた空気が泉にまとわりつき、挨拶を残す。
『綺麗だ』
と翡翠が褒めるしなやかな黒髪を手で押さえて、泉は哀しげに微笑んだ。いままでこんなに不安になったことはなかったのに、ここ最近、なんとなく翡翠の様子がおかしくて泉の心が揺れた。
「今年はお客様もないとおっしゃってたし」
例年と違うことが不安につながり、泉の心をかき乱す。
舞台で一心に舞い続ける翡翠は目が離せないほど美しい。小麦色の肌に緑の髪、野性味にあふれた容姿、長くたくましい手足が空を切る。剣舞にも似た勇壮な踊りから泉は目が離せない。いつまでもこの姿をあの体温を独り占めしたいという泉の願いも叶えてくれたらいいのに、組んだ手のひらを祈りの形に握りしめて泉は吐息を零した。
舞台をひときわ大きな音で踏みしめて、翡翠は動きを止めた。生の息吹に包まれた山々の様子を確認するかのように翡翠はしばらくそのまま動かない。空気が変わっていた。新春の慶びに充ち溢れた様子に満足気に微笑んで翡翠はその場に坐した。
大きく息を吐き、礼をとる。翡翠を包んでいた緑の光が霧散した。
やにわに立ちあがるとつかつかと舞台を降り、結界の外へ出ると翡翠はまっすぐ泉の元へと歩み寄る。
「終わった。終わった」
首をぐるぐる回して、泉の横に立った翡翠は上から泉に視線を流した。
「お疲れ様です」
泉は腰を折る。頭を上げた泉をなおも翡翠は見下ろしていた。その瞳に切なげな哀しい色がちらついた気がして、不思議に思って泉は首を傾げる。
腕が伸びて腰を攫われた。ぐっと翡翠の顔が近づく。鼓動が大きく跳ねた。
「仕事は終わった。俺の願いを聞いてくれるんだったよな」
悪戯っぽい顔で笑われて、泉は瞳を見開いた。
「約束だ」
言いながら翡翠は泉を抱えあげる。腕に軽々と乗せられて、空を仰いだ翡翠に泉は焦る。
「出かけるんですか?このまま?」
一度泉を振り返ると翡翠は口端を上げた。
ふわりと身体が浮き上がる感覚に泉は慌てて翡翠の首筋に抱きつく。
「禊も着替えも」
泉の言葉に笑って、翡翠は宙に浮く。
「そんなの後でいい」
「で、でも」
戸締りもなにもしてこなかった。それに最近、こうやって翡翠に抱かれて空を飛ぶことはほとんどないのだ。どこかに出かける時は山に住む巨大な狼である銀王がその背に乗せてくれる。姿勢の心もとなさと恥かしさで泉は不安そうな瞳を翡翠に向けた。
「宮はほっといても大丈夫だ。人型を置いてきたからな」
泉の心配などお見通しとばかり、翡翠は気にせず上昇を続ける。
「え、でも……」
食事だって用意したのに、それに……。
「気にするな。必要なものはあとで届けさせればいい。願いを叶える約束だ」
泉の心配ごとを一刀両断し、速度を上げた。
「翡翠さま」
風に攫われる髪に慌てて泉は翡翠に摑まった。この不安定な状態で空を行くのは全く慣れない。
「怖いならもっと抱きついていろ」
器用に空中で抱えなおして、意地悪気に翡翠は呟いた。


翡翠が泉を伴ったのは、山の奥にある大滝だった。ここはすでに人間の領域だ。だが、新年の明けたばかりの今、そこには誰もいなかった。ごうごうと豊かな水が音を立てて滝壺に吸いこまれていく。気温は低いが滝が凍るほどではないらしい。
翡翠は滝壺にまっすぐに降り立っていく。細かい水しぶきが霧のように立ち込めて日の光が反射してきらきらと輝いていた。普通なら衣服を湿らすそのしぶきは2人の側で見えない壁に弾かれるように寄せてはこない。
濡れないように翡翠が何かをしているのだろう。
滝壺に降りると翡翠が開いている手をさっと横に薙いだ。一枚の布のように見えた滝を捲るように翡翠は泉を抱きながら、その中へと身体を滑り込ませた。
「洞窟?」
滝の裏側は空洞があった。翡翠はなんのためらいもなく、洞窟を奥へと抜けて行く。
驚きにまだ抱えられたままであることすら気づかない泉は、感嘆の吐息を零した。
「知りませんでした。滝の裏にこんな通路があるなんて」
大滝は昔からあの地にあった。水量が多い瀑布には熱い夏に泉も涼を求めて、よく訪れたものだ。滝の水しぶきが涼を運んできて、あそこの回りだけ気温が低いのだ。
「そうだろうな。あの水量だ。人間はここには入れない。ついでに、ここは俺の領域だからな。他の神々れんちゅうも知らない」
泉を抱えたまま洞窟の奥へと抜けて行く翡翠は前を見据えながら答えをくれる。
「あ。あの、翡翠さま。自分で歩けます」
やっと、驚きから覚めた泉は抱きかかえられたままであることに気づき、下ろしてくれるように懇願する。
「いい。このままで。岩に水がついて滑りやすいしな」
翡翠は泉を離す気はないようだ。こういう時の翡翠に何を言っても無駄なことは泉が一番よく知っている。
仕方なしに泉はこの先に何があるのだろうとその思いにだけ、気を向けた。
長く思える通路を抜けるといきなり視界が開けた。大きな池の向こうに屋敷と深い森が見える。さらに奥には切り立った崖。それを視線で辿るとぐるりと崖が囲んでいた。頭上には切りぬいたような丸い空が、青く高く澄んでそこにあった。ぽっかりとここだけ丸く切り抜いて、沈めたような地形だ。
隔絶された世界。そんな言葉が頭を巡った。
翡翠は泉を抱えたまま池をひと息に飛び越えた。屋敷の庭先に降り立つとそっと泉を地面に下ろす。
「ここ……」
目の前の屋敷を見上げて、泉は声にならない声を上げた。
「まあ、別荘みたいなもんか。神域ではないが、道は滝裏の一本だけだ。翼がなければここには来られない。最近、空を飛んでる鉄の塊では降りるスペースがないからな」
暗に人間は来られないと告げられて、泉は空を見上げた。どこまでも抜けるような青空が果てしなく続いている。
翡翠は空を飛べるのに、滝裏を歩いてきたことに泉は首を傾げる。
「なんだ。どうして飛んで来なかったのかと思っているのか?」
見事に考えていることをあてられて、泉は翡翠を仰ぎ見た。面白そうに笑う口元から犬歯がのぞき、こういう顔をすると悪戯小僧みたいだと泉はいつも思う。
「言ったろう?ここは神域ではない。空なんて飛んでたら目立ってしょうがない。目立つといろいろ面倒だ」
確かにそうだろうと泉も思う。神様の存在はどこかで感じていて信じてはいても、目に見えるものだと誰も思っていないのだから。
「屋敷に入ろう。さすがに冷えてきた」
元旦の午後だ。山の中で気温は1桁だろう。
手を引いて、翡翠は泉を屋敷へと誘なう。こじんまりした建物は、宮の縮小版のようだった。玄関から短い廊下。付きあたりと右手に襖が2つ見えた。手前が台所へ通じ、奥は居間だろう。草履を脱いで、廊下をつっきり、居間の中を翡翠は無言で進んでいく。居間の突き当たりの襖をあけると更に奥に部屋が続いていた。左手の襖を開かれ、泉はぎくりと足を止めた。
「翡翠さま……」
目の前にある臥所に泉は大きく息を吸った。
「いいから入れ」
ぐっと手を引かれ、前のめりになった身体を抱きとめらた。
どくんと鼓動が跳ねた。泉は顔を上げる。まだ、髪を結い冠で留めた翡翠が見えた。正装した翡翠は何度見てもきれいだ。凛々しいとは彼のためにある言葉だとすら思う。琥珀の瞳がまっすぐに自分を見つめていた。
「さて、約束の一つ目だが、2年越しでお前といられなかった俺のために……」
すっと顔が近づいて、唇に翡翠の唇が重なった。触れるか触れないかの距離。
「気が済むまで喰らわせろ」
翡翠の囁きに泉が息を飲んだ。それに嬉しそうに息だけで笑うと口づけが深くなった。するりと忍び込んだ舌の熱さに泉は瞳を閉じる。こうやって抱き締められて、口づけを贈られるだけで身体の芯がかっと熱をもつ。この誰もいない屋敷で、翡翠に求められると思うだけで、胸の奥が苦しくなるほど嬉しい。
だけど……気が済むまでっていつまで……?
ふと、よぎった考えを泉は即座に捨てた。考えてはいけない。その先には恐怖しかないから。
舌で口の中を愛撫され、溢れる唾液が口の端をつたうころに名残惜しそうに翡翠は唇を離した。
「それから、しばらく、ここで2人きりだ」
しばらく……?
翡翠の口にする期間は曖昧で、泉はまた首を傾げた。
「泉」
だが、疑問は甘く呼ばれた名前で霧散する。肩を抱かれたまま臥所に移動し、そのまま抱きあげられてそっと横たえられた。
背に柔らかい敷布の感触を覚え、泉はそっと瞳を開けた。自分にのしかかる重みと温かさに眩暈を覚える。幸せを具現化したらきっとこういうものだろう。
「翡翠さま」
泉の声に何を感じたのか、翡翠が微笑んだ。その笑みが鮮やかで、泉は頬に血が上るのを感じる。何年たとうが翡翠を好きだという気持ちは減るどころか増す一方だ。
それをどう伝えていいかわからなくて、泉は腕を伸ばした。翡翠の首に腕を絡めて手前に引いた。
「ひすいさま……」
掠れた声で名を呼べば、ひそかに笑う声が耳朶を打つ。
「あんまり煽ると加減がきかない」
返事の代わりに翡翠の頭を抱く腕に力を込めた。
「泉」
翡翠の声も掠れていた。吐息が熱い。耳朶を噛まれて、首筋を唇で辿られた。
「あっ……」
ぴくんと背が反った。腰ひもを解かれ、着物がはだけた。するりと翡翠の手が滑りこんできて、その熱さに息を吐く。
「ふ……はぁ……」
手を追って唇が舌が降りてきた。大きな手が胸の突起に触れて撫であげると泉の背が震えた。
「んっ……やっ……」
舌で指の間から胸を嬲られて、腰が浮く。何度、この腕に抱かれても、喰らわれても慣れない。熱い手が舌が身体を這うたびに狂うほどの快楽が身体の奥から湧いてくる。
「翡翠……さま……」
そして、その快楽は翡翠だからこそであることを泉は知っている。他の誰かではだめなのだ。
でも……
「ふぁ……んっ……」
袴の裾をたくしあげる手が泉の柔らかい内腿をやわやわと揉んだ。
「滑らかだな」
指先できわどいところを辿られて、泉はきつく瞳を閉じ、眉を寄せる。
ゆっくりと高めているんだろうが、口づけですでに熱くなった身体をもてあましているのを翡翠は気づかないんだろうか。触れてほしいところに触れられずに泉は身体を捩った。
「やっ……翡翠……あ……んっ……」
名前を囁いた途端に、胸の突起に歯を立てられて、唇をかむ。
「そうだ。名前で」
首を横に振ると泉自身の先端を指がかすった。一瞬で去った刺激に泉は双眸めを開けた。
「どうして」
翡翠の手は熱くて、合わせた身体も熱を発しているのに、焦らすような愛撫に泉はさらに首を横に振った。さらさらと黒髪が音をたてた。
その一房を掬って、翡翠は唇をつける。
「ゆっくり味わっている」
喉で笑いながら囁く翡翠を泉は下から睨みつけた。それに鮮やかに笑って、翡翠は結った髪留めを引き抜き頭を振った。緑の髪がばさりと舞い、たてがみのように翡翠の小麦色の肌を彩る。
泉は瞳を見開いた。艶やかな色彩。なによりも好きな泉の神様……。
この瞬間だけは翡翠は自分のものだ。
「もう……」
翡翠の顔から目が離せない。きらりと金色に光る瞳に魅入られる。
「もう……待てない」
泉は吐息で告げた。手を伸ばして、翡翠の白い単衣の襟もとに差し入れる。いつの間にか直衣は脱いでしまったらしい。
剥ぐように手を滑らせると襟の合わせから翡翠の小麦色の肌が見えた。撫でるように肌に手を滑らせて、泉は弾力のある身体を辿った。
体温の高い肌が気持ちがいい。どこもかしこも翡翠は素晴らしい。
「翡翠さま……」
ばさりと翡翠が単衣も下袴も脱ぎ棄てる。泉の身体にまとわりついている衣もさっと取り去って、翡翠は泉を抱き締めた。じかに肌が当たって熱い。
翡翠の欲望が腿にあたるのを感じながら、泉は瞳を閉じた。翡翠の背に回した手でそっと翡翠の背を辿る。太い骨、厚い胸板、締まった腰、どれをとっても翡翠は泉にとって特別で、泉はうっとりと息を吐いた。
「早く」
ねだっても翡翠はそんな泉を強く抱きしめるだけだ。身体が痛みを覚えるほどきつく抱き締められて、泉は目を開けた。近くに見た翡翠の眉が寄っている。苦しげな表情に泉の鼓動が嫌な拍動をくり返した。
「翡翠さま?」
どこか悪いのだろうか。それとも、もう、私ではお相手にならない?
「泉」
耳元ではっきり呼ばれた名前に、泉は「はい」と返事をする。
「酷くしてしまうかもしれない」
辛そうな声に泉は微笑んだ。
そんなことを気に掛けていたのか、翡翠さまは。
望むところだと泉はさらに笑みを深くした。身体を合わせたまま溶けあってしまったらいいのにといつも思っているんだから。
「はい」
諾と告げた言葉に喜悦が混ざっていたことに翡翠は気づいただろうか。
「泉。泉……」
名を何度も呼びながら、翡翠は泉の身体に唇を落す。
その全てがお前が愛しいと告げられているようで、泉は喘ぎながら身体を震わせた。
翡翠の手が泉自身をすっぽりと包む。すでに、先走りで濡れているだろう。翡翠が欲しいと身体が叫ぶのが聞こえる。
翡翠の唇が泉自身を捉えた。
「ああっ……はぁっ……」
舌先で先端を舐められて、泉は身体を反らせた。痺れるような感覚が背を駆けあがる。
「甘いな、泉はいつでも」
熱い口内に迎えられて、泉は息だけで喘ぐ。
「んっ……ふぁ……やっ……」
時折漏れる声に艶が増し、それに伴い、頭の中が白くなっていく。翡翠の愛撫と舌の立てる音だけが泉が認識できるものになる。
追い立てられるような感覚が下腹に渦巻き、欲望を全て吐き出したいと痛烈に思う。
「だめっ……」
手を伸ばして、翡翠の髪を握りしめたのと自身が爆ぜるのが同時だった。嚥下する音が室内に生々しく響き、さらにびくびくと震える泉の先端を翡翠は舐めとった。
大きく何度も吐息を零す。
欲を吐きだしたのに、泉自身は勢いを失わない。翡翠に舐められるごとに、その刺激で腰が揺れ、自身が頭をもたげる。
「まだ、足りないか」
翡翠の呟きに身体の奥底がぞろりと蠢き、飢えを訴えた。
欲しいものはまだ与えられていない。泉は瞳を見開き、足の間に頭を埋める翡翠の緑の髪を軽く引く。
「翡翠さま。喰らって……」
顔を上げた翡翠が口端を上げた。牙のような犬歯がのぞき、瞳がきらりと光った。
「香油を」
翡翠の声に泉は右手を頭上に伸ばす。臥所の枕元に香油の瓶がいくつも並んでいたはずだ。さっき、のけ反った時に視界の端に見えた硝子の瓶。
指に触れた瓶を掴むと泉はそれを翡翠に手渡した。
片手で開けて、翡翠は中身を泉の腹に垂らした。金木犀きんもくせいの香りが泉の体温でふわりと部屋に満ちる。秋に庭で香っていた花と同じ。
翡翠の指が泉の腹を滑り、自身の脇を辿り奥の蕾に触れた。ぴくんと泉は身体を震わせる。幾度も蕾の上を翡翠の指が行き来した。
酷くすると言ったくせに、翡翠の愛撫は優しい。
指が身体の中に沈んだ。翡翠の指にたっぷり絡んだ香油のせいで滑りはいいが、圧迫感は相変わらずだ。
だが、それすらももどかしい。翡翠の熱を感じたい。
「んっ……」
くちゅくちゅと香油が音を立てる。指が増えて行くのを頭の片隅で認識した。
身体をかき回される感覚に泉はギュッと目を閉じた。腰は絶えず揺れてしまう。
「気持ちがいいか?」
翡翠の言葉にただただ頷く。
「はやく……」
泉の言葉に息だけで笑う声が重なった。
「あぁっ……やっ」
指が全部抜かれて、泉はそれにすら声を上げた。
「泉。いい声で啼け」
掠れた甘い声が聞こえたと思った途端、身体を一気に貫かれた。重量のあるもので奥の奥を暴くように一息に突かれる。
「はぁぁあぁっ……ん……あぁっ……」
喉の奥から甘えるような声が出た。突かれるたびに啼く。いままでの比ではない快楽に泉は腰を浮かせる。それを体重で押さえつけて、泉の奥を翡翠は抉った。
「あぁっ…・・んっ」
意味のある言葉は口をつかない。もうただ、喘いで啼くことしかできなかった。身体をゆすられて、敷布に泉の黒髪が散る。
「くっ……」
貫く翡翠の口からも熱い息を吐く音が聞こえる。自分の中が翡翠に絡みついて引きとめるのを感じた。それに合わせて、翡翠の息が上がっていく。
眩むような幸福感に泉はもっと酷くされてもいいと思う。
奥の奥まで翡翠で埋めて欲しい。溶けあって二人の境目がわからなくなるくらいに。
「もっと……」
泉の声に翡翠の動きが早くなる。
「ああ……ぁっ」
中を擦られて、突き上げられ、泉はさらに啼く。
「泉」
背中に回った手で抱き起こされて、座った翡翠に向い合せに座るような形で抱き締められる。さらに奥まで翡翠自身が泉の中に挿って、泉は背を反らせた。膝立ちで身体を浮かすと腰を引きもどされた。髪を撫でられ、唇が重なった。また、腰を浮かせると腕で引きもどされる。中を翡翠自身で擦られて、口づけたまま声を上げる。
「あぁっ……ひすい……さ……やっ……」
腰を上げると沈められることをくり返す。ぞくぞくとした官能が腰の奥から背を這いあがり、もう泉には何が何だかわからない。熱くて、満たされたくて、腰を振る。
翡翠の手が泉自身を掴み、上下に動かした。
中を抉られたまま前も弄られて、泉は頭を横に軽く振る。
「お前は熱い」
掠れた翡翠の声も泉にはもう届かない。
「泉だけが俺を満たす」
もっとだと言わんばかりに腰を上げろと促され、その度に下に引かれた。自分で自分の中に翡翠を招き入れていることにも泉はわかっていなかった。
「もっとだ。もっと啼け」
背を反らし、のけ反らせた喉に噛みつきながら、翡翠が唆す。
「……んっ……あぁ……はぁぁっ……んっ」
自分で動いて泉は腰を揺らめかす。
「あっ……ひすい……さ……もう……あぁぁぁ……」
「んっ……泉」
腰をぐっと落されて、呻く翡翠の声を遠くで泉は聞いた。身体の奥に熱い奔流を感じ、自分も下腹を渦巻いていた欲を吐きだす。
「ひすい……さま……」
貫かれたまま泉は翡翠にしがみつき、荒い息の下から名を呼んだ。
月光が庭のほうから障子を淡く染める。
世界に二人きりだと思えるほどの静寂のなか翡翠の太い熱棒が容赦なく泉の中を抉った。
もう、何度達したかわからない。一度、泉を喰らった翡翠は飢えを一気に満たすかのように、何度も何度も泉を貫いた。
『気の済むまでお前を喰らう』という言葉通り、翡翠は泉をとことん抱いた。
頭の中は霞みがかかったようで、泉には翡翠が名を呼ぶ甘い声と翡翠に貫かれるたびに響く水音しか認識できない。
泉の中も翡翠に絡みつき、逃すまいと締めつける。
「ああっ……ひすい……さ……ま」
「泉」
ぐっと背中を抱きよせられて、泉も腕を伸ばし、翡翠の背を抱き締めた。
このまま離さないでほしいと泉は溶けて霞む思考の果てで希ねがった。


「口開けて」
俯く泉の顔は真っ赤だ。誰が見ているわけでもないが、恥かしくてしょうがない。
しかし、逆らうこと叶わず、泉は口を開く。
箸が差し入れられ、甘いきんとんが口の中で解けた。
今年のサツマイモの出来も良かった。
そんなどうでもいいことを考えて、泉はまた俯く。
翡翠の膝の上に座らされて、雛のごとく口に餌を運んでもらっている泉は身の置き所が無いくらい恥かしい。
翡翠の言葉通り、必要なものも泉の作った正月料理も人型が運んできた。それも歩いて。
目立ってはいけないはずなのに。
泉は心の中で文句を言う。
元旦の午後にここにやってきて、すでに三が日が終わろうとしているのに、翡翠は片時も泉を離そうとしない。いくら大晦日と元旦と泉に触れられなかったからってやり過ぎだ。
「翡翠様」
俯きながら抗議の声を上げると翡翠は面白そうに泉をのぞき込む。
「なんだ?」
「もう離して下さい。食事くらい自分でできます」
「俺がやりたいんだからやらせとけ」
悪戯っぽく琥珀色の瞳が瞬いて、泉は翡翠を睨んだ。
「でも、もう……」
「ここにいる間は俺の好きにする約束だ」
約束を口にされて、泉は言葉を飲んだ。
好きなだけ喰らう。しばらくここにいる。そして、ここにいる間は翡翠の好きにする。
これが翡翠が泉に願った3つの希いだ。
だが、身体の境目がわからなくなるまで抱かれて、風呂も食事もくっついて離れてもらえない。常に翡翠の体温を感じて、過ごした2日半は幸せだが、とにかく恥かしい。
「ほら次は何がいい?」
「……いつまで」
泉の質問に翡翠の持つ箸の先端がひくんと揺れた。
「いつまでここに?」
「しばらくだ」
翡翠の応えは相変わらず曖昧だ。だが、泉にも仕事がある。宮の掃除もあれば、食材の管理もある。
「秋に収穫した野菜が腐ってしまいます」
「それも人型に命じてある。今頃、山の氷室に移してあるだろう」
あそこならこの時期、吹き込んだ雪と地下から湧いて流れた水が凍り温度は外気より十度は低い。それにほとんど温度は一定だ。
「正月料理も今日までの分しか……」
「じゃあ、明日は餅でもつくか。食材を運ばせることもできるぞ。ここにも台所はあるしな」
口端を上げて笑われて、泉は言葉に詰まった。何を言っても翡翠は聞く気がないらしい。
「とりあえず、下ろして……ください」
仕方なさそうに翡翠は泉を自分の横に下ろした。
「食事も自分でします」
箸を手に取ると翡翠に取りあげられた。翡翠は眉を寄せていた。苦しそうな表情に泉の鼓動がとくんと音を立てた。
「翡翠さま」
「わかった。こういうのは今日までにするから、俺の好きにさせろ」
箸で煮しめをつまんで、泉の口に放りこんで、翡翠は苦く笑った。
やっぱり、翡翠は少しおかしい。
ごくんと口の中のものを飲み下して、泉は翡翠を見つめた。
「泉」
名を呼んで、翡翠が顔を寄せる。唇に翡翠の唇が重なった。
甘い口付けに、泉の杞憂が霧散する。何年たっても相手の全てがわかるわけではない。不安になることも多いが、こうやって、触れあえるとそれすらもどうでもよくなった。
唇が離れて行くのをゆっくり見遣って、泉は微笑んだ。翡翠が驚いた顔をして、そして微笑った。
「泉。食事がすんだらお前を喰らう」
耳に息とともに吹き込まれた言葉に泉の頬に朱が上った。
「翡翠さま」
抗議のはずの声は熱い吐息とともに発せられ、泉はひたと翡翠を見つめた。昨夜のことを思い出した泉は耳まで赤くして、それでもゆっくり頷く。
気が済む時はまだ来ないらしい。
自分を欲しがる翡翠に眩暈を感じるほどの幸福を覚えながら、泉は瞳を閉じた。
翡翠との2人の時はまだ続く。
曖昧な期間が永遠だったらいいのにと心のどこかでおもいながら、唇に重なる熱い吐息を泉は受け止めた。




にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

総もくじ 3kaku_s_L.png 天空国の守護者
総もくじ 3kaku_s_L.png 巡る季節と恋の順番
総もくじ 3kaku_s_L.png 山神の花嫁_昔話
総もくじ 3kaku_s_L.png おまけ番外編ショート
総もくじ 3kaku_s_L.png 蒼い闇の化身
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png はじめに
もくじ  3kaku_s_L.png リンク集
もくじ  3kaku_s_L.png Novel lists
もくじ  3kaku_s_L.png 奇跡の刻
もくじ  3kaku_s_L.png 平行線の恋
もくじ  3kaku_s_L.png 煉獄の恋
総もくじ  3kaku_s_L.png 天空国の守護者
総もくじ  3kaku_s_L.png 巡る季節と恋の順番
もくじ  3kaku_s_L.png 雑記
総もくじ  3kaku_s_L.png 山神の花嫁_昔話
もくじ  3kaku_s_L.png 告白の向こうへ
もくじ  3kaku_s_L.png 空の月を恋う
総もくじ  3kaku_s_L.png おまけ番外編ショート
もくじ  3kaku_s_L.png 遠回りの片恋
もくじ  3kaku_s_L.png 腕の中の迷い猫
総もくじ  3kaku_s_L.png 蒼い闇の化身
  • 【守護者砦】へ
  • 【均衡の崩壊(1)】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【守護者砦】へ
  • 【均衡の崩壊(1)】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。