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「山神の花嫁_昔話」
薄紅色の花弁

薄紅色の花弁(1)

 ←じれじれ恋愛 →薄紅色の花弁(2)
強い風の音が障子の向こうで響く。唸るように吹きすさぶ風は、春を呼ぶ嵐だ。
強い風に木々がその身を押し流されて、耐える様が障子に影として映る。黒い影が踊り、風が吹き抜ける音が響くと、泉は胸騒ぎと不安感を覚えた。
背に感じる体温は温かく、その寝息は規則正しい。泉を抱きしめて眠る翡翠にとってはこの風は気になるものではないようだ。
僅かに身じろぐと
「眠れないのか」
と背で声がした。寝起きの掠れた声も泉には甘く響く。
「風の音で目が覚めてしまいました」
告げるとこっちを向くようにと肩を押され、泉は寝がえりを打って、翡翠と向き合う。腕が伸びて、泉は翡翠の胸にすっぽりと収まった。
泉より高い体温が心地よい。そっと胸に耳を寄せると力強い鼓動が聞こえた。
「これで風の音も聞こえまい」
微かに頷くとふっと翡翠が笑う気配がした。とくんと泉の鼓動が跳ねる。こうして甘やかされると、どうしていいかわからないくらい幸せな気分がする。
「春が近いんですね」
何を言っていいかわからなくて、泉は天気の話を口にした。
「そうだな。今年は少し遅いくらいだ。そろそろ水もぬるんで、桜の便りも聞こえるだろうな」
桜との言に、泉は一面の桃色を思う。山が薄桃色の花弁に覆われる1年で一番うつくしく儚い季節。
「今年はどこにお花見に行きましょう?」
「ここの桜も見事だ。見渡す限りの桜が見られる。この屋敷の縁側でゆっくり花見といこう」
泉の髪を翡翠が手で撫でた。何度も撫でる手に泉は瞳を閉じる。
「まだ、夜明けまで間がある。もう少し、眠れ」
大人しく身を預けている泉に翡翠が囁く声が届いた。
こくんと頷く泉を翡翠は抱き締め直し、しばらくすると頭上から寝息が聞こえる。泉は翡翠の着物の襟をぎゅっと握った。
この屋敷にきてから、すでに2か月と少し。連れて来られたのはお正月だったというのに、もう桜が咲く季節だ。それなのに、宮にも帰らず、ずっと回りを崖に囲まれた人里から隔絶された場所で、翡翠と2人きりで過ごしている。
泉にとって、こんなに宮を離れたことはなく、不安の種はそこにもあった。翡翠は宮は人型が見ているから大丈夫と取り合ってもくれないが、宮を取り仕切ってきた泉にとってみれば、気が気ではない。
人型は命じられたことには忠実だが、機転もきかなければ、命じられた以上のことはしないのだから、あの広い宮がきちんと保たれているとは到底思えない。
それに、翡翠はしばしばどこかへ一人で出かけて行くが、泉はこの場所から一歩も外界へ出ていない。というか、翡翠の許可がおりなかった。
新年に交わした約束は3つ。
『好きなだけ喰らう』、『しばらくここにいる』、そして、『ここにいる間は翡翠の好きにする』だ。
このうち、『しばらくここにいる』という約束がいまだ、健在だった。曖昧な期限の切り方をされたから、しばらくが永遠になりそうで泉は怖い。
何度も宮に帰りたいと告げてはみたが、翡翠は全くきいてはくれなかった。
この屋敷には誰も尋ねて来ない。人間界でありながら、人間を寄せ付けない天然の要塞は、なぜか、他の神様の訪れもない。
それでも、翡翠が傍らにいれば、2人きりでいられれば不満はない。それどころか、ずっとこのまま翡翠を独占したいと思っている。
だが、翡翠が出かけて、一人になると孤独と不安で泉は押し潰されそうになる。翡翠はどこに行くのか告げない。聞いても宮だとか曖昧でよくわからない。
泉は翡翠の襟を握りしめたまま、こつんと額を翡翠の胸につけた。
いったいいつまでこうしてお側にいられるのか。
胸の奥で何度もくり返す問い。答えはでないまま、不安だけが澱のように心の底に溜まっていく。
離れられなくなればいいのに。
泉は翡翠に身を擦り寄せて、溜息を一つついた。


空は澄み渡り、どこまでも青い。
庭さきで洗濯物をぱんと拡げて泉は空を見上げた。薄水色の春の空がどこまでも続いている。だが、視線を少し落すと空を切り取ったかのような断崖が目に付いた。
帰りたい。
泉は思う。長らく暮らした宮はすっかり、泉の家になっていて、やはり慣れたところから離れると辛いものだと最近とみにそう思う。
翡翠と2人でいるのは嬉しい。だが、宮でだって、人型をのぞけば2人きりだ。こことはそう違わないと思うのだが、それでも宮に帰りたかった。
「泉」
背後から声が聞こえ、泉は弾かれたように振り向いた。
縁側に翡翠が立って、こちらを見ていた。眩しいのか目を細めている。
「翡翠さま」
それきり泉を見つめているだけで動かない翡翠に声を掛けた。
「あ、ああ。ちょっと、出かけてくるから、仕度を手伝え」
告げられた言葉に泉の形のいい眉がひくんと跳ねあがった。
一昨日も出かけたのに、また外出とは。
「どこへお出かけなんです?」
硬い声が出て自分でも泉は驚く。
「ちょっとな」
だが、それに気づかないのかのかそれとも意に介さないのか、翡翠はそんな風な言葉を返す。
泉はつかつかと縁側に寄り、そこから、縁に上がる。心の奥底が冷えて痛いほどだ。それでも、背を向けて部屋に入っていく翡翠を泉は追った。
若葉色の着物に濃緑の袴。その上から、白の直衣を着て、髪を結った翡翠は艶やかという言葉が似合う。
全ての仕度を整えて、鏡で自分の姿を確認した翡翠は満足そうな顔だ。
「翡翠さま」
「なんだ?」
泉の呼びかけに翡翠が振り返り、笑んだ。その表情に一瞬、見惚れて、慌てて泉は頭を下げた。
「私も日のあるうちに、宮へ一度戻りたいのです」
「だめだ」
にべもない答えに、泉は顔を上げて翡翠を強く見た。
「どうしてです。もう、春になります。出さなければいけない調度もある。人型では手の回らないところもきちんとしたい。ちょっと帰るだけです。また、ここへ戻ってくればいい」
即答で拒否された泉はなおも食い下がった。いままで、こんなに自分を通したことはないかもしれない。
「宮は大丈夫だ。お前は心配せずにここで俺の帰りを待っていてくれ」
「どうして、わかってくださらないんです。見回って安心したい、それだけなんです」
言い募る泉を翡翠は腕を伸ばして抱き締めた。衣に焚きしめた香が甘く薫る。
「ここで待っているんだ。どこにもいかなくていい」
命令する声は硬くて、冷たく聞こえた。なのに抱き締める腕は熱く、力強い。泉はますます混乱する。なんだかんだ、泉に甘い翡翠はこんなに自分に反対したこともいままでない。最後は笑って許してくれたのに。
「行ってくる」
再度、抱き締める腕に力を込めて、泉の髪に口づけ、翡翠は身を翻した。
「翡翠さま」
呟きは一瞬ののちに姿を消した翡翠には届かなかった。
翡翠の消えてしまった空を泉は呆然と眺めた。願いはかなえられず、翡翠は泉を置いて行ってしまった。
宮に見られたら困るものでもあるのだろうか。
胸の奥が大きく揺れた。重い何かが堆積して息が苦しい。
もしかして……
翡翠は宮に自分ではない誰かを住まわせ始めたのかもしれない。その思いは泉から消えるどころかどんどん膨らんでいく。
泉のような古株のものが側に仕えていては困るようなことが宮にはあるのかもしれない
見開いた瞳を涙が覆い、頬を雫が流れる。
「翡翠さま……・」
呟きは声にならなかった。悲しみと胸の痛みに身体が引き裂かれそうだ。いつか、自分に飽きる日が来るだろうとずっと思ってきたけど、まだまだ先だと思っていた。自分を包むあの熱が無くなってしまう日がくるなんて。
契約はずっと側にいる。だった。
だから、私が離れれば、翡翠さまは自由になるのか。
泉はぐっと腕で涙を拭うと空を見上げ、口を開く。
『銀王さま』
呟きの後に、銀王の真名を叫んだ。泉の声は青い空へと吸い込まれていく。
だが、待っても何も起こらない。いつもならすぐに姿を見せてくれる銀王はやってこなかった。
「どうして……」
泉はふらりと足を踏み出す。
ここへ来た道は1つだけだ。そこからしか出られない。だが、あの滝に触れずに外に出られるだろうか。
それでも、泉は足を止めない。小船で池を渡り、滝の裏へと通じる洞窟へと入る。昼間だというのに中は薄暗く、へたをすると足元さえよく見えない。足を滑らせながら、泉は洞窟を進む。来るときは、滑っては危ないからと翡翠が抱きあげてくれたのに。
知らずに目が潤んで、泉は一向に強くならない自分を嗤う。
何度も転んで、袴の裾が汚れても泉は足を止めなかった。ごうごうと音が聞こえる。雪解け水が流れ込み始めている滝は、この季節、水量が多い。冬に見た時よりも速く分厚い水の布が下へ下へと降りて行く。その向こうに日の光がきらきらと輝いていた。
手を差し伸べ、滝に少しでも触れると身体を持って行かれそうになる。
「これを越えるのか」
呟いて、溜息をつく。だが、滝壺に落ちてこの身が砕けたら、翡翠は自分から自由になるんだからそれもいいかもしれない。
思いついた考えに、自暴自棄になっている自分を覚え、泉は嗤う。人間だったならとうに朽ち果てている身だ。何も惜しいものはない。だが、まだ、何もしていないだろうと叱咤し、泉は思案する。
人の身ではこの水の壁は越えられない。背に翼もないから、落ちるだけだ。
滔々と流れる水を眺めながら、泉はどうしようかと思案をくり返す。水の音は、耳をろうするほどだ。その音に微かに混ざって、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
「泉」
泉は耳をそばだてる。水の音から意識を外し、それ以外の音を拾う。
「泉」
「その声は……銀王さま」
呼んだ途端、水の壁を突き破って、馬ほどの大きさのある大狼が飛び込んできた。
降り立つとぶるると身体を震わせ、盛大に水しぶきを飛ばす。泉にもかかり、髪と着物が濡れた。
「銀王さま」
再度、名を呼ぶと銀王は泉に近づいた。
「泉。久しいな。最近は、まったく声がかからないから忘れられたと思ったぞ」
鼻面を泉に押し付けて、舌で顔を舐める銀王の頭を抱きよせて、泉は微笑んだ。艶やかな白銀の毛並みが美しく、温かい。
「まさか。でも、なぜここへ?」
「名を呼んだろう?」
違うのかと銀王の目が語る。
「呼ばれたから出向いてみれば、木が密集している場所で上空からお前の姿が見えない。気配も掴めないと焦って探してみれば、急に滝裏に気配を感じたというわけだ」
「え?出向いたらどこでしたって?」
銀王の言葉の意味がわからず、泉は質問を返す。
「樹海だったな。どこからどこまでも木々が密集していた。空からじゃまったく地上が窺えないから、降りようもなく……」
「そんな。あんなに綺麗に空が見えていたのに」
銀王の言葉を遮って、泉は驚きに瞳を見開いた。
「空?どこにいたんだ、おまえは」
森になんてなってなかったと説明を返す泉に銀王は鼻の頭にしわを寄せた。
「緑の主の結界か。外からは見えないようにしたんだろう。手の込んだことだ」
唇がめくれてずらりと並んだ歯をむき出しにした銀王は、まるで苦笑しているようだ。
泉は呆然と銀王の金の瞳を見つめた。人界だが人は来られないと確かに翡翠は説明した。と言うことは出口は本当にここだけなのだ。閉鎖された空間。
「で、泉は私を呼んでどうしたかったんだ?出かけたかったんだろう?」
瞳を見開いたまま立ちつくす泉に銀王は穏やかに話しかける。
「泉」
名を呼ばれて泉ははっと我に返った。
「えっ」
「どこかに出かけたかったんじゃないのかと尋ねたんだが……」
「すみません。そうです。でも」
泉はそう呟いて、瀑布を見つめる。裏からみても水量は半端なく、勢いはますます増しているようにさえ見える。
「ああ、あれな。濡れるかもしれないが抜けられる。それは心配するな。で、どこに行きたいんだ?」
ちらりと視線を滝に向けて、銀王はなんてことないように言うと泉に視線を戻す。
「ここから出たい」
言った声が震えた。行き先も告げない泉に銀王が不審に思わないわけもないだろうに、何も言わずに彼は背を向けた。
「乗れ」
泉は銀王に近寄って、ふわりとその背に跨る。
「身体を私の背中にぴったりつけろ。頭もできるだけ下げて」
しがみつくように泉は銀王の背に身体を伏せた。柔らかくて温かい毛並みが頬をくすぐった。
「しっかりしがみついていろ」
そう言うと、銀王は動きだす。一度、滝と反対の洞窟の奥へ向かって歩き、ある程度距離を取るといきなり走り出した。あっという間に加速して、耳の横で風が唸りを上げたと思った途端に、ざばんと水を突き抜ける音がした。泉は銀王の背の毛をギュッとつかむ。背から水滴が降ってきて、泉の着物を濡らした。
「もういいぞ」
声を掛けられて、恐る恐る顔を上げるとすでに空の高いところにいた。下の方に巨大な滝が白い水しぶきを大量に上げて落ちているのが見えた。
「水がかかったか?」
「少し」
背中に着物が貼り付いていた。だが、この陽気ならすぐに乾くだろう。
「でも、すぐに乾きます」
「そうか。で、お次は?」
きかれて泉は答えられない。本当は宮へ行きたい。だが、宮に行って翡翠が誰かといたらと思うと怖くて、泉は顔を伏せた。
「泉?」
心配そうな銀王の声が聞こえて、泉は顔を上げられないまま呟いた。
「宮に……」
声は小さいのに聞こえたのだろう、銀王は空を駆ける。人界から神域へ。だが、何を察したのか銀王は宮の近くまでくると速度を落して止まってしまった。
「そろそろ着くぞ、泉」
ぴくんと身体が震えた。怖くて顔が上げられなかった。
「宮に翡翠様が……?」
銀王は顔を宮の方へ向けて、匂いを嗅ぐように鼻をうごめかした。何度かそうして、
「いいや。留守のようだ」
と告げる。
「他の人は?」
てっきり宮に戻っていると思っていた翡翠がいないと聞かされて、泉はつい思っていたことを口にしてしまった。
「いや、人の気配も神の気配もない。緑の主の宮はここのところずっとこんな感じだ。遊びに行っても泉も緑の主もいない」
銀王の言葉に泉は顔を上げた。
「だれもいないんですか?」
「ああ」
ほっと息を吐いて、泉はそれなら宮に降りたいと告げると銀王は何も聞かずにそのまま庭先へとふわりと降りた。
暖かくなってきたこともあって、庭には黄色やピンクの花がちらほら咲き始めていた。その間を人型が掃除している。思ったほど荒れ果ててなくて泉は、少しだけ安堵した。宮へと目を移すと、宮の扉という扉はすべて閉め切られ、外から中は伺えない。
扉に手を掛けて引いてみたが、びくとも動かなかった。
手入れはさせていると翡翠は言っていたが、こんなに閉め切って?
だが、無理にこじ開けて中に入るわけにもいかず、泉は庭先から建物に沿って歩き、玄関まで移動した。その後ろを銀王がついてくる。
玄関も閉め切られ、鍵を掛けたのか扉は開かなかった。
宮の様子を見たかったのに、結局、それは果たされない。誰かを住まわせているのではという疑惑は消えたが、だからと言って、翡翠が頑なにあそこから泉を出すまいとしたのは事実だ。
帰りたくない。
泉は自分を入れてくれない扉を睨んで、そう思う。翡翠が泉を連れていった滝裏の屋敷は、籠のようにしか思えない。
籠に私を閉じ込めて、翡翠さまはどうするおつもりなんだろう。
「どうする?」
玄関先で立ち止まってしまった泉に銀王が心配そうに声を掛けた。
「帰りたくない」
つい、心でくり返した言葉が口をつく。
銀王が鼻面を泉の頬に押し付けて、その頬を舐めた。銀王の頭に腕を伸ばし、泉は銀王の毛並みを撫でる。しばらく、銀王は泉のしたいようにさせてくれた。
手触りのよい銀王の頭の毛を泉は何度も撫でる。
「そうだ」
ふと気づいて、泉は銀王に滝に近いが、もっと山深く入った場所に行って欲しいと願った。
「だが、あそこは人界だ。人に見られたくはないだろう?」
「それでも、あんなところまで滅多に人は来ません」
それに何か言いかけたが、銀王は大きな溜息を一つ吐くと泉に背に乗るよう促した。


滝から更に上ってけもの道を行った先、そこで泉は立ち止った。うっそうと繁る木々と地面を覆う下草に目を向けて、泉は溜息をついた。
この辺りだったのに。
そう思うが、見渡す限り、木々ばかりだ。
「ここに小屋があったんです」
泉がぽつんと呟くと銀王が泉を見た。
そう、ここには自分が住んでいた小屋があった。村からはかなり離れた山奥だが、不自由はなかったと泉は昔を思い出す。翡翠に贄として出会う前、あの祭りの前まで泉はここで暮らしていた。二間しかない小さな小屋でたった一人で。
だが、いまはその痕跡もない。あれから優に70年くらいが過ぎているだろう。本来だったらもはや生きていないはずの自分だ。その自分が住んでいた小屋がなくなっていても不思議はない。
胸の奥が苦しいような痛いような感じがする。
小屋の場所すらわからなくなるほどお側にいたのに。
その痛みは、すでに人間といえなくなってしまった自分のためなのか、それとも翡翠がわからなくなってしまったためなのだろうか。
木々を縫うように歩く。その後ろを銀王がゆったりとついてきた。
「泉。この辺りにも人が来る。そろそろ離れた方がいい」
木々を回りこんで同じところをぐるぐる歩く泉に、黙って突き従っていた銀王が見かねたように声をかける。
「人間が?」
「そうだ。どこにだって奴らは来る。この辺りはまだましだが、山を崩して、石の道をあちこちに作っている。ふもとまで降りればわかる。山裾のあたりも石の道だらけだ」
鼻の頭にしわを寄せて、嫌そうに銀王が言う。
確かに、人に見られるのはあまり得策ではない。特に銀王は人の世界ではとんと見かけない大狼だ。見つかれば猟銃で撃たれてしまうかもしれない。
ふと自分は?と思った。
姿は変わらない。人に見えるだろう。だが、姿かたちが昔と寸分変わらない泉だ。知り合いにあったら驚かれるどころか、恐れられるだろうと思って、泉はくすくすと笑った。
「なにがおかしい?」
笑い声を聞きつけた銀王が問う。だが、泉はしばらく笑い続けた。知り合いなんて、小屋と同じでもはや誰もいないだろう。大体、知っている人なんてほとんどいなかったのだ。村の幾人かだけだ。庄屋さんと村のおばさん達、そして幾人かの子供。その子供ですらこの世に存在するかわからないくらいの年月が経っている。
「何も持っていないなと思って」
笑いながら泉が答えると、銀王は動きを止めて、泉を見る。その金の瞳が哀しそうで、泉は銀王にそっと微笑んだ。
「事実だから。もともと何も持ってなかった。この身だけ。今も変わらない。そう思っただけです。哀しいとかそういうわけでもない」
泉の声に悲壮な感じも寂寥もないはずだった。だが、銀王は泉の側にそっと寄るとその手を舐めた。
「帰りたくないのなら、私のところへ来い、泉」
手の甲を舐めながら、銀王はそう告げる。泉は銀王の頭をそっと撫でて、首を横に振った。
「それなら、青の主のところへでも行くのか?」
竜胆様のもとへ?
それは考えもしなかったと泉は驚いた顔で銀王を見た。翡翠さまの側以外、行きたいところはない。なのに、今はあそこには帰りたくない。
横で銀王が大きく溜息をつく。獣の姿をしているが、銀王はやけに人間くさい。
「どこか雨風がしのげるところをご存じではありませんか?」
しばらく自分には時間が必要だと思う。翡翠がなぜ、あそこから泉を出したがらないのか。このまま翡翠の側にい続ける資格があるのだろうか。もっと考えをまとめたい。
不安が胸の中を渦巻いて、胃の腑が重い気がする。翡翠が誰かを囲っていたわけでも、自分を裏切ったわけでもないのに、どうしてこんなに不安なんだろう。
翡翠が時折見せる思いつめたような眼差しを不意に思い出す。あの瞳で見つめられると今みたいに不安でどうにかなりそうだった。
「帰った方がよくないか?緑の主が心配するぞ」
銀王の言葉に泉は首を横に強く振った。今は帰れない。帰りたくない。
「仕方が無いな」
呟くように紡がれた言葉の後に、銀王は首を一振りして、泉に背に乗るよう促した。泉は銀王の言う通りに背に乗る。
「つかまっていろ」
告げると何もないところを蹴りつけて、またたく間に空へと駆けあがる。滝よりさらに東の竜胆の領域に近いほうへと銀王は飛ぶように行く。
遠くの眼下に赤い鳥居が立つ島が見え、湖が春の光に輝いていた。
まだ、湖まではかなり距離がある辺りで、銀王は高度を下げた。すっと降り立った先は山の中腹で木々が少なく開けた場所だった。そこに大きくて太い古木が一本立っている。しだれた枝にはびっしりとかすかに桃色をのぞかせた桜の花芽がついている。
もう幾日もしないうちに咲くだろう。
「これって」
一度、翡翠が見事だと連れて来てくれたしだれ桜だった。樹齢は千年を下らないだろう古木で、それでも毎年、見事な花を咲かせるしだれ桜。山の奥に咲いているせいか、ここにはほとんど人はこないのだと翡翠は言っていた。
半分、神域になっているかもなとも。
銀王は泉の先に立って歩き出す。泉は慌てて銀王について行った。桜のさらに奥、山に登る道へと歩いて行くと木々が立ち並ぶ後ろに大きな岩壁が見えた。
壁の根元には縦に亀裂が入っており、銀王は躊躇なくその中へと入っていく。泉は果てしなく上のほうまで、亀裂の入った岩盤を見上げてから、銀王を小走りで追った。
亀裂の奥は広くなった空洞になっており、壁は青みがかった硬い岩石でできていた。地面は土だが、あまり湿気がこもらないのだろう表面は乾いて砂になっていた。
「寝わらを蓄えてあるはずだ」
広くなった空洞の奥へと銀王はさらに進み、束ねて乾かしてある藁を泉に見せた。
「これを使えば布団がわりになる。火を起こしても煙は上のほうにある亀裂から外へ抜ける。ここで煮炊きも可能だ」
「銀王さま、ここって」
「山の中にいくつもこういうところがある。緑の主の道楽だったり、私のすみかだったり、まあ、いろいろだな」
ぐるりと見渡してから、銀王は泉を見た。
「かなり硬い岩盤からなっているから崩れる心配はしなくていい。春めいてきたから柔らかな葉もあるだろう。それも布団に使える」
驚いた顔の泉に満足げな笑みを銀王は返す。
「山で食料を見つけるのはお手の物だろう?」
天然の洞窟だというのに快適そうな場所に驚愕しっぱなしだった泉は銀王の言葉を聞いて、微笑んだ。
「ええ。だてに山に暮らしていません」
泉の笑みに安心したのか銀王はほっと肩の力を抜いた。
「じゃあな。泉。なにかあればすぐ私を呼ぶがいい」
「銀王さま」
くるりと背をむけた銀王を泉は呼びとめた。
「ありがとうございます」
一人になりたい泉の気持ちを察してくれたのだろうと泉は銀王に頭を下げた。
「なにもたいしたことはしていない」
「ここにいることは……」
振り返って目を細めた銀王に、泉はさらに翡翠には告げてくれるなと願いを口にした。
「わかった。誰にも言うまい。だが、代わりに日に一度、私が来ることは認めてもらう」
その言葉にも泉はさらに頭を下げた。心配をかけてしまっていることが泉は心苦しい。だが、今は一人になりたかった。このまま翡翠のもとにはいられない。
「わかりました。よろしくお願いいたします」
頭を下げたまま囁いた泉に、銀王は苦く笑うとそのまま洞窟を出て行った。

乾いた藁を山と積んで寝床を作ると、泉は外へでて枯れ枝を集める。すでに、日は山の端に掛かっていて、空が赤く染まり始めていた。山の日暮れは早い。あっという間に暗くなってしまう。月がまだ半月なのが救いだった。真っ暗にはならないだろう。
枯れ枝を集めながら、注意深く草の芽を観察する。タラの芽やタケノコといった春になると芽吹くものを探すためだ。桜の蕾が膨らみ始めるころ、山は春に向けた活動をすっかり始めていて、よく探せば食べられるものはいくらでも見つかった。
翡翠さまの寿ぎが隅々まで行き渡っているから……。
芽吹いた木の芽や膨らみ始めた若葉の新芽を見るたびに、泉は正月のことを思い出す。翡翠が山を寿いだからこその豊かな実り。
淡く光を纏った翡翠は神々しくて、力強く、涙が出るほどきれいだった。
あの時もいつまでお側にいられるかと不安になったことを思い出す。
宮にはだれもいなかったけど、もしかして、誰かに会いに行っていたのかもしれない。疑い出すとキリがなく、不安は胸の奥にどんどん堆積して、息苦しくなった。
木の枝を胸にぎゅっと抱きしめながら、泉は首をふるふると左右に振った。
考えてはいけない。翡翠さまのことは。
泉は食料を集めることに気を向ける。春の息吹は、そこここに見出され、次から次へと見つかる山の幸に泉は感謝を捧げた。
何も持たずに出てきたと思ったが、煮炊きのために常に懐にいれてあった火打ち石のおかげで火をおこすのも何の苦労もなかった。
洞窟の中は銀王が告げた通り、岩に隙間があるらしく、煙は外へと流れて中には籠らない。その割には風が入ってくるわけでもなく、火のおかげで十分暖かった。
タケノコを焼き、タラの芽を葉でくるんで蒸し焼きにしたものを食べて、泉は藁にもぐりこむ。干した藁は太陽の匂いがした。
空気を含んだ藁は眠るのに十分な暖が取れたが、いつも背に感じる翡翠の体温がないことに泉は心が痛い。一人で眠ったのはいつ以来だっただろう。翡翠のもとにきて最初の何年かの神無月だけだったかもしれない。
竜胆が泉にちょっかいを掛けて以来、神様の会合に泉を伴うようになっていたから、あれ以来、一人で眠ることなどほとんどなかった。
翡翠さま……。
考えまいと思っても泉の想いは翡翠から離れない。
思い起こせばずっと翡翠は変だった。苦しげな瞳で泉を見つめていたことは一度や二度ではない。抱く腕の熱さも優しさは変わらないから気づかないふりをしていたけど、もしかしてかなり前から、翡翠は泉に飽いていたのかもしれない。
誰かの代わりだったのかな。
本当は側にいたい相手がいたのに、泉との約束を違えられないから泉の側にいてくれたのかもしれない。
翡翠と交わした契約は「お前の望み通り」だった。泉が側にいる限り、翡翠はその約束を守らなければならない。
泉の願いは「このままいつまでも翡翠さまのお側に仕えること」だ。
泉が抱き締めて欲しいと願うから、翡翠は泉を抱き締めるのだ。
本当は違う誰かをその腕に抱きたかったかもしれない。
想う端から、心を刺されたような痛みが走り、誰にも翡翠を盗られたくないと思う。それで翡翠が苦しんでも、それでも側にいたいと願ってしまいそうで、泉はぎゅっと瞳を閉じた。
私が側を離れたいと願えば、翡翠さまは楽になるんだろうか。
できそうもない願いは泉をただ傷つける。
自分の腕で自分を抱きしめ、泉は翡翠を想う。
逢いたい。でも、帰りたくない。
相反する思いが泉を苛んだ。
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