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「山神の花嫁_昔話」
昔話_出会い編

山の神

 ←花嫁 →贄
頭を下げたまま、しばらく花嫁は動かなかった。老婆が襖を閉じ、庵の扉を閉めた音が聞こえ、しんとした静けさがその身を包むまで、床に頭をつけていた。たった一人で奥の宮に取り残された実感がじわじわと身に染みた。
花嫁は、ゆっくりと頭を上げ、立ち上がるとさらに奥の部屋へと足を踏み入れた。小さな部屋だったが、畳が敷かれ、その上に床(とこ)がのべてある。床を覆うように天井から幾重にも薄い布が下がっていた。香が焚き染めてあるのか、かすかに花の香りが部屋に残っている。
誰もいない部屋に入ると、布団の脇に花嫁は坐した。沈黙だけが降り積もる一人ぼっちの部屋。しんと静まり返った中、障子の向こうで、夕方の風が木々を揺らすのが聞こえた。
静かに坐しているとこの世にたった一人行き残ってしまった人のような気がする。このまま誰にも顧みられず、朽ちはてていくのを待っているような、そんな心細さがあった。
どのくらいそうしていただろう。外では徐々に風が強くなっているようだ。雨も降っているようで、そのうち、屋根を激しく叩く雨音がはっきりと聞こえてくるようになった。障子越しの庭は、すっかり日も落ちて真っ暗だった。そっと立ち上がると、部屋に一つだけあった明かりに火を入れる。
ぼうっと橙色の光が室内を照らした。一人の心細さが少し和らぐ気がするような淡い光に、かすかに花嫁は吐息を漏らす。
このまま、朝になるのかもしれない。坐しながら、そう思って、花嫁は口元に苦笑をのぞかせる。もう神様の訪れはなくて、祭りは成立せず、やはり村は滅んでしまったのかもしれない。
こんな儀式も祭りももう、すべてが無駄なのかもと思ったとき、
――ごうっ
突然、鋭い風の音が部屋を駆け廻り、大きな音を立てて障子が開いた。駆け廻った外からの風が、薄い布の幕を激しく揺らした。雨が吹き込みその飛沫を部屋へと散らし、顔に髪に水滴がついた。灯りが風に吹き消され、部屋の中も真っ暗になる。
一瞬、風に目を開けていられず、花嫁は目を閉じた。恐ろしさに身がすくみ、それをごまかすかのように何度か浅く息を吐く。だが、ものの数分もたたないうちに、目の裏に灯りの眩しさを感じ、花嫁は目を瞬いた。
消えたはずの灯りは何事もなかったかのように、火をともし、ゆらゆらとその灯心を揺らしていた。大きな黒い影が壁に踊る。花嫁は驚きと怖れに息をのむ。
目の前に、一人の男が立っていた。緑の髪を紐でくくり、背に流している。琥珀色の瞳が再び灯った光に瞬いた。人間にはありえない色彩に、これが山神だと確信する。
現れる神は、人を食らう鬼だと聞かされていた花嫁は、驚きに目を瞠った。目の前に立った大柄な男性は、野性味あふれる端正な顔をもち、鬼だというのに、頭に角もなければ口元に牙もない。すっと通った鼻筋に、大きめの目、形の良い顔を縁取る深い緑の髪が綺麗だと思った。新緑から初夏に変化する葉の色と同じ、力強い息吹を感じる。そして、瞳は秋の木漏れ日のようで、肌の色は豊かな土と同じ褐色だ。
その男―山神―もまた、目の前の花嫁を驚いたように凝視している。
「こんばんは。山神様」
驚きからさめても、うるさく鳴り響く鼓動を持て余しながら、花嫁は両手をついて頭を下げた。声がかすかに震えていたかもしれない。
目の前に見える山神の足が自分の方に大きく踏み出された。衣擦れの音に、かがんだんだと認識すると、視界に大きな手のひらが入り込み、山神の指が頤に触れ、顔をあげさせられた。
「美しいな」
目を眇めて山神は花嫁を見つめた。
「おまえの瞳は黒曜石のようだ。明かりがうつりこんで星が散るように見える」
山神の賛辞に、驚いて瞬くと長い睫毛がふさりと頬に影を落とした。
「だが、俺の目がおかしくなったのか」
花嫁をまじまじと凝視して山神は口をひらいた。低く耳に心地のいい声が怪訝そうな色を帯びる。
「まれに見る美しさだが、どう見てもお前は男にしか見えない。男は花嫁にはなれないと思うが」
面白そうに、それでいて獰猛に山神は笑った。長めの犬歯が唇の端からのぞき、牙のように見える。花嫁姿の青年は、ふるりと身を震わせるとこくりと喉を鳴らした。
「山神様、これには訳がございます。お怒りになって、私を八つ裂きにされる前に、私の話を聞いていただきたいのです」
山神から必死に視線をはずさずに、青年は願い請う。しばし、二人は無言で見つめ合った。青年はまっすぐに山神の琥珀色の瞳を力を込めて見つめた。そして、山神もまた、じっと花嫁姿の青年を見ている。そう長い時間ではなかっただろう。ひたと合った視線を瞬きで遮ると、花嫁から手を離して、山神は花嫁の前にどかりと胡坐をかいて坐した。
「いいだろう。どうせ、夜は長い。今夜は嵐だ。ここからも出られないからな。お前の言い分も聞いてやろう」
「ありがとうございます。話をお聞きになりましたら、食らうなり殺すなりお好きに」
話を聞いてくれると言う山神にほっとして、青年は両手をついて頭を下げた。
「安心しろ。男は食わない。固いからな」
面白そうに山神は笑った。きつく見える目元が笑うと柔らかくなり、まるで、やんちゃな子供のようで、青年は驚いた顔をする。
「山神様……」
「翡翠(ひすい)だ」
話を始めようと口を開くといきなり名を告げられた。
「山神様はやめてくれ。俺の名は翡翠。お前は?」
「泉(せん)」
涼やかな声で告げた名前に翡翠は、目を細めた。
「それで?泉。男のお前が花嫁としてここにいる訳を聞こうか」
泉は再度頭を下げ、それからまっすぐに翡翠を見つめた。
「村をご覧になりましたか?あの荒れ果てた村を」
泉の言葉に翡翠は僅かに頷いた。泉の脳裏に昼間見たあまりに悲惨な村の風景がよみがえる。芽吹かない荒れた田畑。固く閉ざされた門戸。畑にも道にも、村人の姿はなかった。
「今年の春先に流行り病がこの村を襲いました。あっという間に村中に広がり、山神様の花嫁になるはずだった年頃の娘は、みな、病に倒れたり、病を恐れて村を離れたりいたしまして、もう誰も残っていないのです。男衆も他の女衆もまた病に侵され、そうでなければ、病に罹らぬようにと家から出られず。そのため、もう、夏が始まりましたのに、手入れもできずに田畑は荒れたまま……」
そこまで、話す泉は目を伏せ言葉を途切れさせた。瞼の裏には、まざまざと、村の風景が浮かんでいた。目頭が熱くなる。
「もう、滅んでしまったのでしょうか?」
この世の終わりを垣間見てしまったような圧迫感に胸を塞がれながら、泉は翡翠に問うた。
「さあな」
「翡翠様は神様でしょう」
そっけない翡翠の応答に泉はかっと身の内が焼ける思いがした。腹を渦巻く怒りに相手が怖い山神であることすら忘れ、泉はとっさに身を乗り出し、膝立ちすると、前に座る翡翠の襟元に両手を伸ばす。ぎゅっと襟の合わせをきつく掴んで、まっすぐに翡翠を見つめた。
「五年に一度、生贄を求める代わりに村に繁栄をもたらす。それがどうしてっ!」
泉は叫ぶ。
それなのに何故、この村は滅びようとしているのか。五年前にも贄を出し、それは受け取られたのに。その日のことを泉はよく覚えている。村中を渡るお囃子、村を練り歩いた花嫁御寮のきらびやかさが、眩しいと思った。
「俺は、村に繁栄などもたらさない。俺のした契約は、山の実り、山の災害から村を守ること、そして、山の水の流れを変えないことだけだ」
「そんな……」
掴みかかった泉を咎めず、引きはがしもせずに、翡翠は淡々と言葉を連ねた。言葉の内容に、翡翠の村への興味のなさに、襟を掴んでいた指から力が抜け、手が胸元を滑って、泉はその場に崩れ落ちた。床についた手をぎゅっと拳に握りしめる。
「今おっしゃったそれは全部、山の神様であるあなたの仕事だ。なのに、何故、贄が必要なんだ」
口から出た言葉の語尾が震えた。涙が頬を流れ落ちる。
「最後の二つの望みに力が必要だからな。契約だと告げたと思うが」
なんてこともないように、ただの契約だと言われ、葵は目の前にいる男が色彩同様、人間でないことを思い知る。
確かに土砂崩れも鉄砲水もこの村の記録にない。台風が来ても嵐が来ても、麓の村で被害がでたという噂を聞いた時ですら、この村は無事だった。山神様は約束通り、村を守っている。だが、それは、契約で、条項はたったの三つだ。はらはらと頬に涙を落とす泉を面白そうな瞳で見て、今度は翡翠が泉に問う。
「で、お前はここで何をしている?男の身で花嫁に身をやつしているのはなぜだ?大体、どうしてお前は流行り病に罹らなかった?」
着物の袖で涙をぬぐいながら、泉はそっと翡翠を伺う。もう、何も言いたくなかった。村は滅んでしまうのだ。どれだけ言い募ろうと目の前の山神様は村のために何もしてくれないだろう。しかし、泉は、先ほど、わけを説明すると約束したことを思いだした。すんと鼻をすすると泉は顔を上げないまま、口を開いた。
「私の住処は村の中ではなく、山の中にあるのです。村の中には、たまに山の幸などを届けに行きますが、ここのところ、村からお呼びもかからず、村には降りていないのです」
そう、流行病が村を襲っていると知ったのは、それこそ、春が終わってからだ。山歩きをしているときに、村から避難する村人に会って知った。おまえにできることはないのだと、病を広めないためにも、村には入ってはいけないとの忠告を泉は素直に守った。
翡翠は泉の言葉に驚いたようだった。おもむろに立ち上がる。
泉は急に動いた翡翠に驚き、顔を振り向けた。しかし、翡翠は頓着せずに、泉の横にどかりと座りなおすと、泉の首筋に鼻を寄せ、息を大きく吸った。
「なるほど、そのせいか。さきほどから、香(こう)にまざって、山の息吹の香りがすると思っていたんだ。泉は、なぜ、村ではなく山に住んでいるんだ?」
翡翠との距離が近くなり、泉は身を硬くする。しかし、翡翠には気負ったところはない。
「母がこの村に私を連れて帰って来た時、山の庵を村の人たちがあけてくれたと聞いています」
「父親は?」
「さあ?私は会ったことはありません。母も父の話はしなかった」
それがどうかしたのかと、なんということないように言った泉に翡翠は眉を上げる。
「母親は村の出身か?」
翡翠の質問に泉は頷いた。
「体よく、追い出されたわけだ。父親のはっきりしない子供を連れた女を村に受けいれられなかったんだな」
泉は横目で翡翠をにらんだ。それは、いままで、考えないようにしていたことだ。なのに、翡翠は淡々と事実を泉に突き付ける。
「で、でも、村の人たちは優しかった。ひどいこともされなかった。山の恵みと作物を交換してくれたりもしました」
泉は思いだす。山で採れた薬草や果物を持って村に降りると、声を掛けてくれた村の人々。畑の緑の間を元気に駆け回る子供たちの笑顔。だれもが泉には優しかった。
泉は村の穏やかな暮らしを眺めるのが好きだった。村中が笑顔で生きていた。その営みを眺めているだけで泉は幸せだった。
一緒に暮らしていた母親が儚くなって、一人ぼっちになった後も村人たちはなにくれと泉を気にかけてくれた。村に薬草を持って降りて行くと、井戸の側で噂話に花を咲かせているおかみさん達が、時折、甘い菓子や餅などを泉におすそ分けしてくれたりもした。暮らしぶりを心配してくれ、薬草と交換する食料も多めに分けてくれた。泉は村が好きだった。村で暮らす人々が好きだったのだ。泉の好きな大切な村は、いつも花と緑と笑顔にあふれていたのだ。
それが、今は……。
「村の住人でもないのに、村のために贄になったのか」
泉のもの思いを翡翠の声が断ち切った。泉は顔を上げ、横に座る翡翠を見た。
「違う。私も村の一員だ」
叫ぶと皮肉気に笑われた。その瞳に利用されたのがわからないのかと書いてある。村に入れてもらえない村人であることを突きつけられて、めまいがするほど怒りが身体を荒れ狂った。だが、一方で父なし児と蔑まれることもなかったが、かわりに村の子供として扱ってもらえなかったことに泉は気付く。村人は優しかったから、受け入れられていると思っていたが、それは泉がお客さんだったからではなかったか。薬草と山の恵みを持ってくる山に住む人として、村人は泉を扱ってはいなかったか。
全てを否定しようとして、それができずに、怒りとむなしさが体内に蓄積する。泉は大きくため息をつく。身体に積もっていく苛立ちを大きく息をして、吐き出せたらと思った。
「認めたらどうだ。住人でもないおまえが利用される筋はないだろう」
気負ったところもなく、事実だけを突きつける翡翠に、泉は大きく頭(かぶり)を振った。
「違う。犠牲になんてならない。じ、自分から進んで受け入れたんです」
全てを見通してしまうような翡翠の瞳を見ていられなくて、双眸を閉じて泉はきっぱりと言った。
村を救いたいという泉の願いは真実だ。しかし、志願したかと問われればそれは嘘だった。
山神は恐ろしい鬼だと聞いていた。
先の祭りも参加こそしなかったが、泉も村はずれで祭りを見た。綺麗で豪華絢爛な花嫁の行列。賑やかな村人たちの囃子声。それに反して花嫁を出した家の村人の表情(かお)に浮かんだ翳りに、密かに見ていた泉は心を痛めた。
そして、一週間前……。

庵の扉を叩く音に、泉は戸を開けた。
「庄屋様……」
扉の前には村を仕切る庄屋が立っていた。壮年で大柄だったはずの庄屋は、やせて青白い顔をしている。まだ、働き盛りな年のはずだが、まるで老人のように見えた。病をおしてここにやって来たのは一目瞭然だ。庄屋自ら、直接ここに上ってくることは無かった。いつもは用があれば、使いの者が呼びに来る。これは何か不吉なことの前触れだと泉は恐れた。
戸を開けた恰好のまま、驚きに動きを止めた泉に庄屋が告げた。
「今年は祭りの年だ」
庄屋は泉の様子も気に留めていないようで、いきなり扉の前で話を始めた。
「もう村には未婚の女性がいないのだ。このままでは祭りが執り行えない。そうしたらどうなるか……」
庄屋の声は震えていた。病のためか恐怖のためか泉にはわからなかった。そして、祭りの相談に、庄屋が自分を訪ねた理由もわからない。祭りを泉が執り行うわけにもいかなにのにと首を傾げる。
「泉、村を助けてくれ。もう、おまえしかおらんのだ。どうか祭りの花嫁になってくれ」
告げられた言葉に泉は瞠目した。この人は何を言っているのだろうとすら思った。
自分は男だ。男は花嫁にはなれない。
「でも、私は男です」
「わかっている。だが、お前なら、お前ほどの器量なら、たとえ、男だろうと山神様はお怒りにならないに違いない」
さらに驚きに目を見開いて、泉は固まったまま庄屋を食い入るように見つめた。正気だろうかと疑いたくなった。だが、庄屋は冗談を言っているわけではない。その表情は真剣で、必死だった。
庄屋が本気だとわかっても、泉は、「はい」と頷けなかった。山神をたばかるのだ。恐ろしい鬼だと聞いている山神が、騙されたとわかったら、自分が八つ裂きになるだけではすまないのではないか。村にどんな報復をするかわからないと恐怖と慄きで泉は身体を震わせる。それこそ、村が滅んでしまうのではないか。
「どうか。泉。お前からも山神様に頼んでくれ。村をこの惨状から救って欲しいと」
深々と頭を下げた庄屋に泉は泣きたくなった。何を勝手なと思った。花嫁に男はなれない。道理を曲げようとする庄屋に腹が立ち、そして哀しくなった。自分に縋らなければならないほど村が追いつめられていることがわかったからだ。
しかし、わかっても神をたばかる怖れに、答えを返せないまま、村に戻る庄屋を見送るため一緒に山を降りて、泉は愕然とした。青々としているはずの田畑は荒れ果て、土くれをのぞかせているだけ。家々からは煙も上らない。人気のない村道に季節外れの冷たい風が吹き、落ち葉をくるりとまき上げた。
「泉。一週間後、迎えをやるから」
それだけをひどく疲れたように庄屋は告げると足を引きずりながら、村の中心にある家へと歩き出す。
承諾はしていなくても、もう決定事項だった。
恐ろしさに身が竦み、強引な泉の意思を無視した庄屋の言い分に腹が立った。しかし、それ以上に目の前に広がる滅びの風景に泉は激しく心を揺さぶられ、哀しみに心が染まり、いつしか涙していた。
緩やかに滅びに向かっているこの村を山神様なら救ってくださる……?
救われた村を私が見ることは叶わなくても、大好きだった村の光景が戻るなら。
泉は自分の心が決まるのを感じていた。

ふふん、と翡翠は泉の言葉を鼻で笑った。その言葉で、泉は過去の思い出から戻ってきた
「自分でね。面白い」
明らかに信じていない瞳で面白そうな笑みを口に刷き、翡翠は呟いた。
「村の厄介者が村を救うのか」
その言葉に、泉は翡翠を睨み付けた。それがたとえ真実でもなんでも顕わにすればいいということはないだろう。厄介者でもお客でも、村を守りたいと思うのはいけないことなのか。
「私を食ろうたら、村を元通りの緑豊かな実りの村に、救ってくださるのですか?」
『おまえが村を救うのか』と訊いた翡翠に泉は一縷の望みをかけて、自身の、村の願いを口にする。
「男は食わない。そう言ったろう?村を元の実りの村にするのがお前の望みか?」
あいかわらず面白そうな笑みを口元に漂わせながら泉を見つめている翡翠に、泉は大きく頷いた。
「皆が飢えない、病気にならない。健やかに働けて、子供の笑い声の絶えない村に」
願いを口にすると欲張りだなと笑われた。
「お前の命でそれだけのものが購えると?」
「叶えていただけるのですか?」
質問を泉は質問で返す。ひたと翡翠を見つめる。翡翠はかすかに眉を寄せ、そして、目を細めた。
「俺の契約の話はすでにした。そんな条項は入っていない」
「五年に一度の贄を受け取っておきながら、たったあれだけのことしかおできにならないのかっ」
泉は声を荒らげた。人の命を奪っておいて、山神はただ自分の仕事をこなしているだけだ。村人の命は、無駄に散らされている。人を食らう鬼。やはり、山神にとって自分たちは贄でしかないのだ。
激した泉を翡翠は面白そうに眺めて、翡翠は腕を伸ばすと泉の顎を掬った。
「俺を怒らせても何にもならない」
全く、怒りを感じさせない平坦な声音で答える翡翠に、侮蔑することで、怒りを買い、できると言わせたかった試みが無駄に終わったことに泉は内心苦笑した。
「それに、もしもできたとしてもだ。お前はもとに戻った村を見られない」
命と引き換えにそれを望むのかと、まっすぐ覗き込む翡翠の瞳が語っていた。そこまでして叶えたいのかと、翡翠は言うのだ。
泉は薄く口元に笑みを刷いた。諦めと幸せと哀しみとが、合い混ざった結果の笑みだった。そう、あの荒れ果てた風景を見た時から泉にはわかっていた。
「村が滅ぶのは世界が終るのと同義……」
そう、泉にとってはこの村が世界。
世界が滅んで、たった独りとり残されるのには耐えられない。村の人になれなくても、この村に笑顔が幸せがあったから、泉も生きていける。それを失ったことを想像し、荒れ野に独り残されると想像するだけでぞっとした。たとえこの身が鬼に食われても、村に笑顔に戻るならそれでいい。独り滅んだ世界に残るよりずっといい。万が一、自分が食われて約束がはたされず村が滅んだとしても、死んだ先で、泉は村を救った夢が見られるだろう。
「いいんです」
「この村から出ることもできるだろう」
陶酔したように瞳を閉じた泉に、ため息交じりに翡翠が囁いた。その言葉に泉は首を横に振る。泉の心と同じ乾いた音を立てて髪が揺れた。
「外の世界など知らない。ここより他にいるところもないんです。独り残されるくらいなら、それを見ない方を選ぶ」
自分のためだ。村のためじゃない。自分勝手だと泉も思う。
「だから命を投げ出すのか。生きながら俺に食われるのか?」
泉の顎にかけた指でぐっと上向かせ、翡翠は泉をまっすぐに見下ろす。泉も翡翠の灯りに光る瞳を見つめ返した。
「村を助けて……」
あらわになった泉の喉が震えた。翡翠は眉を少しだけひそめる。大義名分をかざして、本来の望みを隠す泉のあまりの自分勝手さにあきれたのかもしれない。
翡翠は逆の手をすっと泉にのばし、指の先の尖った爪を泉の喉もとにあてると、すっと横にひく。ちりっと小さな痛みを感じる。
浅く喉の皮膚が切れ、赤い筋がうっすらと浮き上がる。滲んできた赤い珠を翡翠は舌を這わせて舐め取った。
「甘いな、お前は。その血も皮膚も」
微かに震えて、泉はふさりと瞳を閉じた。このまま、人外のモノに食われることを覚悟する。
ああ。これで秋の実りもない、人の絶えた村に心を痛める日々は来ない。
甘美な死への誘惑に泉はうっとりと酔う。
その泉の唇に柔らかいものが触れ、泉は訝しげに瞳を開ける。翡翠の顔がやけに近くに見え、翡翠の唇が自身の唇に押し当てられていた。近すぎて焦点が合わない。緑の髪と琥珀色がぼんやりと見えた。そっと差し出された舌で唇を辿られ、その濡れた感触にぞわりと肌が粟立った。
何度もゆっくり舌で辿られる唇に何かを言いたくて、泉は微かに口を開ける。すかさず、翡翠の舌が忍び入り、泉の舌をぺろりと舐めた。
「んっ……」
感じたことのない感覚に泉は声が出た。怖くて逃がした舌を追われ、絡みつかれて、熱く湿った感触に身体がざわざわと音を立てた。
口腔内を舌で丹念に辿られ、舌を嬲られて、身体の体温があがるのを泉は認識した。腰に腕をまわされてぐっと引き寄せられ、深く唇が重なると、頭の芯がぼおっとしてくる。
人間より微かに高めの体温が抱き締められた腕と触れあう肌から伝わって、泉は妙な安心感を覚えた。
「んっ……はぁっ……」
ゆっくり離れて行く唇を泉は目を開けたまま見ていた。
赤いな。
当たり前のことを思うが、気分がふわふわして気持ちがよくて、どうしてしまったのかと思う。
「生(き)もいいところだな。口づけもしたことがないのか」
口づけ?井戸の周りで洗濯物を踏む娘が頬を染めて、恋人と唇を重ねた話をしていた。接吻と呼んでいた気がするが。いまのがそうなんだろうか。
「言葉も知らないのでは無理もないが、俺が唇をお前の唇に重ねたら、双眸(め)は閉じろ」
また、翡翠の顔が近付いてきて、泉の唇にかるく唇押し当てる。泉は言われた通りに瞳を閉じた。かるく啄ばむような口づけを繰り返され、すぐに離れた。そっと目を開くと、翡翠が口端を上げて笑いながら、泉を見下ろしている。
「泉、お前が気に入った。本当に俺の花嫁になるか?」
面白そうに告げられるが、言われている意味が泉にはよくわからない。
「生きながら俺に喰われる覚悟はあるか?」
意味がつかめず小首を傾げた泉に、苦笑して翡翠はそう言いかえた。
「痛く、怖くしないでくださるのなら。……どうぞお好きに」
食べられるなら瞬時に命を奪って欲しいと告げた泉にくつくつと翡翠は笑い、立ち上がると泉を抱きあげる。軽がると抱かれて、紗幕の向こうの布団に横たえられた。
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