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空の月を恋う

9-1

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広夢は黎二の部屋に現れない。
今日で四日が経った。ああ言えば、会いに来るだろうと思っていた広夢はどうしたわけか、姿を見せなかった。苛立ちだけが黎二の心の底に溜まっていく。
それなら自分から店に出向けばいいという考えは黎二にはない。あくまで、これは治療なのだ。患者が治す気にならなければだめだと思っているからだ。広夢には治療されている気がないことは黎二にはわからない。というより、他人が何を考えているかに無関心すぎた故に、考えようがないのだ。
イラつく感情を持て余す。
「疲れているのか」
指で目の上を軽く押す。ここのところ仕事が立て込んでいて、それなのに、いつもより二時間はやく仕事を切りあげるために休み時間も削っている。疲労は身体の底に澱のように溜っていた。ついでに、今夜は急ぎの検査が途中で入って、通常の仕事が終わらなかった。
いい加減、帰ろうと立ちあがる。
今晩は来るかもしれない。こんな時間だが、まだ、広夢の帰宅時間には間に合うだろう。
本を鞄に入れ、印刷した報告書を束ねてファイル箱に落す。PCの電源を落として、完全にシャットダウンされるのを画面を見ながら待った。
『シャットダウンしています』の文字が表示され、くるくると青い円が躍るのを見るともなしに眺めて、なぜ、こんな根気強くあいつにかかわずらっているんだろうと思う。
すでに三日も来ない相手だ。このままほっとけばいいと心のどこかで声がするのに、もう少しと言い訳している自分に腹が立つ。どうしてこんなにも気になるのだろう。自分を崇拝するものなど珍しくもないし、いままで心動かされたこともない。
あいつに係わってから、なぜだろうどうしてだろうとの問いかけが後を絶たない。検体の組織を見て、診察するときにはあんなにもはっきり出る答えが、人間相手だとどうしてできないのか。帰ろうと立ち上がり、鞄を手にするとデスクの電話がりりりと鳴った。
この時間に内線とは珍しい。黎二は黒い受話器を上げて、耳にあてる。電話の主は庸介だった。
「ああ。庸介か。俺だ」
庸介の説明に大きな声がでた。
「なんだって」
焦った声に電話の向こうで庸介が一瞬黙った。それにすらイラついて、
「外科病棟だな」
叩きつけるように受話器を置くと、鞄も持たずに部屋を飛び出した。

がらりと扉を開けて、黎二は病室へと入る。ベッドに足音を立てずに近寄り、手にした懐中電灯のスイッチをいれる。青白い顔、目の下の隈が目立つ。腕には点滴が刺されていた。いつも控え目に微笑んでいた口元も血の気がない。
ベッドの枕元のネームプレートにちらりと黎二は視線を走らせる。『加瀬広夢』の文字が手書きで書かれた紙が差してあった。
電話で庸介は何と言ったか。
『救急外来で運ばれてきたのは、お前の患者だ』。それだけを聞いて部屋を飛び出してきたことを後悔する。
手をのばして、病院で着替えたのだろう入院患者用のパジャマの合わせをそっと開く。途中のナースステーションで借りた聴診器を広夢の胸にあてた。規則正しい鼓動が聴こえる。弱くも強くもなく、乱れもない。ただ、眠っているだけ。
広夢は起きる気配もなく、寝息を立てている。そっと病衣の合わせを閉じて、黎二は点滴されている薬品を確認する。
「ブドウ糖液……?」
ただの栄養剤だ。どういうことだと思ったところで、病室の扉がスライドする音に黎二は振り返った。
「峰先生」
術衣の上に白衣を羽織った庸介が入ってくる。仕事中ということもあって、黎二は庸介を名字で呼んだ。
「外で話そう。起こしたら可哀想だ」
小声で庸介に言われて、頷くと黎二は廊下へと出た。
「どういうことだ」
「まったく説明しようと思ったら、電話切るんだからな。そんなに慌てなくてもいいだろうに」
庸介は苦笑交じりに言う。
「交通事故だ。横断歩道を自転車で渡っていたら、バイクにはねられた。それで、救急搬送されてきたんだ。一番近いのがここだったからな」
『俺が当直でよかったよ』と庸介は言葉を足した。
「容体は?」
「心音聴いたんだろう?異常ないよ。栄養状態が悪いのと寝不足と疲労だな。脳内スキャンをしたが、脳内出血もない。足のレントゲンも撮ったが、骨折もなし。罅が入っていたら、レントゲンじゃわからないからな。明日、腫れてきたらそうなんだろう」
交通事故にしては容体がよすぎると黎二は首を傾げる。その疑問はもっともだと察したんだろう庸介がさらに説明を続けた。
「バイクの運転手や目撃者が言うには、バイクは左折しようとして、横断歩道手前で停止した。目の前を自転車が渡るのが見えたので、それを見送ったつもりで発車したら、その自転車がいきなり横断歩道上で倒れて、その前輪にバイクが乗り上げたらしい。さっき、警察が、その事故状況と患者の容体が一致するか訊きに来た。警察の話だとバイクの運転手が言う通り、自転車の前輪はひしゃげてたようだ」
「人身事故には違わないだろう」
「まあ、そうだけど。状況から判断して、バイクの運転手は嘘はついていないと思う。詳しいことは、広夢が目覚めて説明してくれないことにはわからないけどな」
庸介は広夢の病室の扉に視線を送った。
「それより、あの様子だとあまりよく眠れなかったんだな。食欲もなかったようだ。渡した薬を飲まなかったのか」
庸介の言葉に黎二は首を横に振った。
「取りに来なかったんだ。あれから会ってない」
「はあ?取りに来ないなら、届ければよかっただろう。あれだけ心配していたんだから」
驚きと怒りの声を上げた庸介を黎二は見た。
「心配はしていない。心の病を何とかしたかっただけだ」
黎二の言葉に庸介はやってられないと首をふる。
「それが、心配っていうんだと思うがな。今だって、病理の部屋からここまで飛んできたくせに。走ってきたんだろう、廊下」
その通りなのだが、答えにくくて黎二はそうとも違うとも言わない。
「さっきな。ナースステーションで看護師達が、冷静沈着な若槻先生が廊下を走って行ったと騒いでいた。前代未聞の珍事だそうだ」
庸介の言葉に苦笑を返して、黎二は病室の扉を見た。
「連れて帰っていいか?」
自分でも何を言いだすんだと頭の片隅で思っていた。
「倒れた時に、頭を打っている可能性もあるから、明日、脳波の検査をする。骨折の可能性もゼロじゃない。今晩は入院だ。さっき、手続きもした。それに、明日、意識が戻ったら、警察の事情聴取もあるしな」
「そうだな」
だが、目が覚めた時に側にいてやりたいと黎二は思った。思ってから自分で驚いた。そんな風に考えたことが今までなかったからだ。
広夢はいつも面倒ばかり持ってくる。目を離すと怪我ばかりしている気がする。
だが、側にいたいとは言えなかった。いても仕方がないし、庸介の見立ては確かだ。自分が担当でも同じことを言っただろう。
「万が一、容体が変わったら連絡する」
「ああ。明日の朝、顔を出すよ」
黎二は病理の部屋へと戻るべく、足を踏み出した。足は重く、混乱した思考に気分まで暗い。
「黎二」
呼びとめられて、黎二は後ろを振り返った。
「お前。まさか……」
そこまで言いかけて、庸介は口を閉ざす。困ったように、手を持ち上げて、口元を覆った。
「いや。なんでもない」
「変な奴だな。じゃあな」
そう言葉を返すと黎二は再び、歩き出した。

頭が痛い。
目が覚めて最初に感知したのが、頭痛だとは、嫌な朝だと思いながら、広夢は痛む頭の向きをそっとかえて、目を開いた。視界が白い。白い壁に白いベッド……。ベッドの周りを覆うカーテンまで白い。
ここどこ……?
見慣れない景色に広夢は目を瞬かせた。頭の芯が鈍く痛み、頭皮がちくちくと痛みを訴える。痛みをこらえながら、ゆっくり首を巡らせると、人影が見えた。壁際に置かれた丸椅子に長い足を組んで、壁に背を預けて座っていた。スーツの上から羽織った白衣の白さに広夢は大きく瞬いた。
「……若槻……さん」
信じられなくて、広夢は再度目を閉じて開ける。
「夢の……続き……」
この間、部屋で黎二に抱かれて以来、眠れば黎二の夢を見る。夢の中でも黎二が広夢を抱くのだ。あの冷たい瞳で広夢を見つめ、お前を抱くのは気まぐれだと囁く。
「だけど、ここどこ……?」
夢の黎二はいつも彼の部屋にいた。黎二のイメージ通り、きちんと片付いた。物の少ない部屋に。こんな白い病室みたいな部屋は初めてだ。
広夢を見つめる黎二の瞳はさらに冷たい……否……静かな怒りに満ちていた。
「……怒っている……?」
「面倒掛けるなって言っただろう」
組んだ足をほどいた黎二は立ちあがるとベッドに横になった広夢の顔の両脇に手をついた。真上から怒りを湛えた瞳で見下ろされて、広夢は怯えた目を逸らした。
「なんで。夢なのに……」
瞳を閉じて、広夢は呟く。自分の夢なのに、どうして黎二は俺をこんな瞳で見るんだろう。
「何を言っている?」
低く囁かれて、その声の冷たさに広夢は肩をすくめた。
「俺の夢なのに。どうして……いつもそんなに……」
黎二が好きなのに、黎二が出てくる夢が悪夢だなんて、どうかしている。
「おい」
声がして、前髪をかきあげられた。額に冷たい手が触れ、気持ちがいいと思うのと同時に身体の奥深いところがじくりと疼いた。夢の度に思い出す。黎二の手の感触と合わせた肌。
熱をやり過ごしたくて、黙っていると胸元をはだけられて、黎二の手が胸を滑る。冷たいものが押し当てられて、広夢の身体がぴくんと跳ねた。
「やだ……」
思ったより大きな声が出た。
「広夢……?」
名前を呼んだ黎二の声に広夢は目を見開いた。
若槻さんが俺の名を呼ぶわけがない。やっぱりこれは俺の夢。
「やめて。触るな。これは夢なんだから。それなのにどうして、俺の意思は無視なんだよ。夢なのに、微笑ってよ、若槻さん。なんで、夢なのに怒られないといけないんだ。嫌だ……」
腕を持ち上げて、胸にあてた黎二の腕を振り払う。かしゃんと何かが床に落ちる音がした。
「おい。大丈夫か。目を覚ませ」
肩を掴んでこようとする黎二から離れようと身を捩る。
「広夢っ!」
名を叫ばれて、広夢は大きな目を開けた。真正面に黎二の瞳が見えた。視線が絡む。焦りと苦渋をにじませた瞳の色に広夢は動きが止まった。
「いやだ……そんな困った顔しないで……そんな表情をして欲しいんじゃない。微笑って欲しいだけなんだ。夢の中のあなただけは、俺の夢なんだから……わらってよ……」
そっと黎二の頬に広夢は手を伸ばす。手が頬に触れると手首を掴まれた。黎二が広夢の手のひらに唇をあてた。広夢がびくりと肩を揺らす。優しく啄ばむように手のひらに口づけされて、広夢は口元に笑みを刷く。夢見心地な顔で唇が黎二の名を刻んだ。
「若槻さん……俺……」
「目を覚ませ、なにが夢だ」
黎二が広夢を叱咤する。声を荒らげようとしてやめたらしい口調で、黎二は囁く。
「夢だよ……だって、若槻さんが優しいから……」
反対の手で、頬を軽くはたかれた。
「バカなこと言ってないで目を覚ませ。やっぱり頭を打ったのか」
「え?頭は痛いけど……」
夢の中なのに、黎二に軽くとはいえひっぱたかれて、広夢は大きな目を見開いた。
「夢……じゃ……ない」
痛みに自分が夢を見ていないことを自覚する。何度も瞬きをくりかえし、見ている物が変わらないことに狼狽した。
「え……えっと……離して……」
まだ、手首を捕らえて唇を押しつけられた手のひらをそっと引く。しかし、ぐっと手首を握る手に力を込められて、手は取り戻せなかった。広夢の首筋と頬に血の色がぱっと散った。
「目は醒めたか」
口端を上げて微笑まれて、その完璧なまでに整った顔に広夢は何も言えない。さらに血が頬に上るのを感じただけだ。だが、黎二から広夢は目が離せない。
「昨夜のことは覚えているか?」
黎二の問いに広夢は眠る前のことを考える。
「仕事が終わって……自転車で家に帰って……あれ?」
家に着いたっけ、俺?
記憶が曖昧だ。店の前でペダルをこぎ始め、駅へ向かう人波に逆らって自転車をこいでいた。気まぐれで黎二に抱かれて、それに浮かれられるほどの図々しさを持てず、広夢は黎二にはもう会いにいかないと決めていた。それでも黎二の家の前を通ってしまう自分に呆れて、バカさ加減に怒りすら湧いてさらに自宅に向かって必死にペダルをこいで……。そこで記憶はぷっつりと切れている。
「ここどこですか?」
いまさらな質問だったのだろう。大げさに黎二に溜息をつかれて、広夢は首を縮めた。
「病院。お前、俺の服装見えないの?」
確かに黎二は白衣を着ている。ぱりっと糊の効いた白衣をスーツの上に着用し、胸元のポケットにペンとペンライトが見える。
「お医者さんみたいですね」
「ほんとに目が醒めているか。まだ、寝てんじゃないだろうな、このバカ。俺は医者だって言っただろうが」
黎二の言葉に広夢は「ははは……」と力なく笑った。確かに夢ではなさそうだ。この口の悪さと突き放したような口調は本物の黎二だ。
「でも、なんで病院?それも入院?」
「まったく覚えてないのか。救急車で搬送されたことも?庸介に診察されたことも?そもそも事故にあったことも憶えてないのか?」
広夢は首を横に振って、憶えていないと告げた。
「全然、憶えてません。それより、若槻さん……手を……。手を離して」
言葉の語尾が掠れた。黎二の頬にあてた手を掴まれていて、いたたまれないくらい恥ずかしい。
握っていた手首に視線を向けてから、広夢の顔を見て、黎二は意地悪く笑った。何か言いたそうにしたが、まあいいと呟くと腕をそっとベッドに下ろしてくれた。それから、ベッドの横にかがみこんで、何かを拾っている。持ち上げて、しげしげと見つめ、「壊れてないな」と呟く声が聞こえた。
黎二は広夢の枕もとに腕を伸ばす。額に触られるかと身を竦めると、腕は広夢を通りすぎ、枕元に吊ってあるナースコールを手にする。黎二の指がナースコールを押すのを広夢はぼんやり見ていた。黎二が動くたびに、どきどき、びくびく、気にしている自分がおかしい。
「加瀬さん、どうしました?」
看護師の柔らかい声がした。
「患者の目が醒めた。峰先生を呼んでくれ」
「若槻先生っ!」
裏返った声に看護師の驚きが手に取るようにわかった。だが、ナースコールは直ちに切られて、五分後には庸介が看護師を引き連れてやってきた。
「おはよう。早いな。若槻先生」
「ああ。勤務前に様子を見たくてな。ちゃんとナースステーションには声をかけたんだが」
先ほど、驚いて素頓狂な声を上げた看護師が頭を下げた。きちんと髪を結い上げた小顔の看護師だ。太ってはいないが、胸元を押し上げている白衣に女性らしさを感じる。
「すみません。いらしているとは気付かなかったので。夜勤に入ってらしたんですか?」
首を横に振りかけた黎二を庸介が目線で止めた。
「まあ、いいじゃないか」
看護師のおしゃべりを遮った庸介が、広夢を見下ろした。
「おはようございます。加瀬さん。ご気分はいかがです?」
「よう……いえ、峰先生。大丈夫です」
つい、庸介さんと言いそうになって、名字に先生をつけることを思い出す。寝ているところを三人の人間に見下ろされるのは居心地が悪い。起きあがろうとした肩を黎二に止められた。
「大丈夫じゃないだろうが。頭痛が残っている。問題は事故の記憶がない」
「憶えてないの?」
庸介が黎二の説明に驚いたように広夢を見る。広夢は首を横に振った。
「事故って。自転車で転んだんですか?若槻さ……先生は俺が救急車で運ばれたって」
「困ったな。警察の人が事情を聞きに午後にでも来るって言ってたんだけどね。横断歩道を渡った記憶は?」
広夢は首を傾げる。どうしたんだっけ。横断歩道?ああ。家のちょっと手前の大通りだ。そこまでは帰ってたのか。
記憶を懸命に辿る。昨夜は、ひどく疲れていて眠くて、変わらず続く吐き気を堪えてて。
「昨夜、具合は悪かった?」
「ここのところ良く眠れなくて。だから、昨夜もひどく眠くて。気持ちも悪くて。心臓がやたらとドキドキいってたような。あっ。そうだ。なんか視界が暗くなって、目の前をちかちか星が飛んで、やばいかなって思ったかも……」
庸介は手にしたカルテに何かを書きこみながら、広夢の話を聞く。
「脳貧血か」
「最後に、明かりを見た。ヘッドランプ。片目だったからバイクかなーって思った」
なるほどと庸介が言った。
「ちょっと、胸の音を聴かせて」
聴診器を取りあげて、耳にかけながら、庸介が告げる。看護師が広夢の掛け布団をめくって、胸をはだける。
庸介が黎二とはベッドを挟んで反対側のベッド横の椅子に腰を下ろし、聴診器を広夢の胸にあてる。聴診器の冷たさにびっくりした。さっき、黎二が胸にあてたのもこれだったのかもと思う。何を意識していたんだろう。黎二は医者なんだから、診るのは当たり前だ。それでも黎二に触られると平常でいられない。
「異常なし」
聴診器を離すと、また看護士がきちんと患者衣を着せてくれて、布団を掛けてくれた。
「足も診せて」
庸介が症状を確認していく。
「腫れているな。これは湿布をだそう。骨折じゃないから、ただの打ち身だと思う」
症状をカルテに書きこむ庸介を広夢は見ていた。逆側からは黎二が自分を見ている視線を感じる。視線ですら黎二のものなら意識せずにはいられない。
「今日の午後に脳波の検査が入っているから、それを受けたら帰っていいよ。結果が出るのは十日くらいあとだし。吐き気はもうない?」
広夢は頷く。そういえば、ここのところ悩まされていた吐き気は消えている。昨日は夢も見ずに眠れたからかもしれない。
「昨日の夜に足のレントゲンを撮って、異常は認められなかった。脳スキャンもとったけど脳内出血は見られなかったから心配しなくていいよ。頭痛は打ち身か、まだ睡眠不足のせいかもしれないから、頭痛薬を処方するね。あとは、よく眠って、栄養をとってしばらくゆっくりするんだね」
にっこりと庸介は笑った。
よかった。たいしたことないらしいと広夢はほっと息を吐く。
「ただし、吐き気や気分が悪くなったらすぐに言うこと。我慢しないようにね。病院でもいいし、若槻先生を頼ってもいいから」
庸介さんは何を言いだすんだろう。黎二が変に思うと、伺うように振り返った。じっと自分を見る瞳が見えて、どきりとする。いきなり、鼓動が跳ねあがって、広夢は落ちつかなげに視線を彷徨わせた。
「じゃあ、午後、検査前に迎えに来るから」
カルテの一番下にさらさらとサインをして、庸介はカルテを看護師に渡した。
「加瀬さん。誰か連絡したい人はいますか。ご両親とか御兄弟ご兄弟とか」
「いえ。家族は東京にいないので」
「退院手続きは、ご自分でされますか。保険証が要るんですけど」
看護師の問いにそう言えば、ほとんど財布にお金を入れていないことを思い出す。
「後ででもいいですか。今、手持ちがなくて。保険証も家だし」
「そうですか。それなら、本日、いくらかいただいておいて、明日以降に差額の清算にいらしていただけますか。あとで計算書お持ちしますから」
看護師の言葉に安心して頷くと看護師がにっこり笑った。
「先生。加瀬さんの食事は?」
扉に向かう庸介に看護師が問うのが聞こえた。何やら相談しながら、2人は病室を後にした。
「夕方迎えにくる」
壁に預けていた背を壁から離すと黎二は広夢にそう告げる。低い声が病室に響いた。
「え?」
「その足じゃ、帰れないだろう」
ベッドに近づいて、寝ている広夢に覆いかぶさるように黎二は身をかがめた。
「送ってく」
「若槻さ……」
言葉は口づけで途切れた。軽く押しつけられただけの口づけなのに、広夢の心音が大きく波打った。頬に血の気がぱっと散る。
「じゃあな」
顔を離さないまま告げると身を起こし、黎二は白衣の裾をはためかせて病室から去った。
「どうして……」
唇を指で辿って、広夢は瞳を閉じた。黎二の気まぐれに振り回されるのはもうたくさんだ。もう、放っておいてほしい。そう思ってるのに、構われて嬉しいと思う自分がいる。会いたいと焦がれた黎二が側にいるのを喜んでいた。
身体を辿った黎二の手のひらを思い出すと、身体の芯が熱くなった。こうやってずっと思い出している。あの夜を。自分でもどうにもならない制御不能の恋心。
……あの人が欲しい。心から嬉しそうに笑ってほしい。
叶わない欲望に広夢はきつく唇を噛んだ。
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